こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの29回目。
(観測についてAIとの交信)
アトラス観測記㉙
スレスレの向こう側 ― 撞点と Threshold のあいだ ―
量子コンピューターから始まった観測
量子コンピューターについて調べていた。
量子アニーリングとは何か。
量子ゆらぎとは何か。
二重スリット実験とは何か。
そんな話を追いかけていたはずだった。
ところが、観測を続けているうちに、
どうも別のものが見え始めた。
私が気になったのは、
量子コンピューターそのものではない。
「ある状態が突然切り替わる瞬間」
だったのである。
コヒーレンスという言葉
量子生物学の動画を観ていると、
量子コヒーレンスという言葉が出てきた。
植物は暖かい環境の中で、
量子状態を維持しているかもしれない。
量子コンピューターは、
絶対零度近くで必死に維持している。
しかし植物は、
木漏れ日の中で平然とやっている。
本当かどうかは置いておく。
私が反応したのは、
別の部分だった。
維持している。
保っている。
崩れていない。
その状態である。
撞点という言葉
観測を続けていると、
ある言葉が浮かんできた。
撞点。
これまでの観測記でも、
何度も現れてきた言葉である。
何かに気づく瞬間。
景色が変わる瞬間。
それまで見えなかったものが、
突然つながる瞬間。
私はそれを、
撞点と呼んできた。
しかし今回、
別の見え方が現れた。
撞点は原因なのだろうか。
それとも結果なのだろうか。
発火という連想
点。
発火。
スパーク。
電磁波。
空間への波及。
そんな連想が続いた。
もちろん物理学の話ではない。
認知の景色としてである。
一つの点が立つ。
すると認識空間全体が変わる。
まるで火花が飛ぶように。
そこで私は思った。
撞点とは、
発火点なのかもしれない。
Threshold という境界
さらに観測を続ける。
すると Threshold という言葉に出会う。
閾値。
境界。
ある値を超えると、
状態が変わる。
物理でも。
神経でも。
社会でも。
同じ構造が現れる。
しかし私には、
少し違って見えた。
閾値とは、
境界線なのだろうか。
スレスレ
そこで思い出した。
日本語には、
スレスレという言葉がある。
境界の手前。
超えるか超えないか。
触れるか触れないか。
その状態。
もしかすると、
閾値の本体は境界ではない。
スレスレを維持している状態の方に、
本質があるのではないか。
そんな景色が見えた。
HOLD
点は見える。
しかし線は引かれない。
観測は続く。
保留される。
HOLDされる。
この状態は不快である。
多くの人は、
すぐに解釈したくなる。
答えを作りたくなる。
空白を埋めたくなる。
しかし観測者は、
点を保持する。
スレスレのまま保持する。
すると何かが起きる。
撞点は結果かもしれない
今回見えた景色は、
これだった。
情報。
観測。
違和感。
空白。
保留。
HOLD。
スレスレ。
そして。
ある瞬間。
撞点。
つまり撞点とは、
最初に存在するものではない。
長く保持された観測群が、
ある閾値を超えたときに現れる、
認識の相転移点なのかもしれない。
空白への違和感
今回の観測では、
もう一つ気づいたことがある。
私は空白に反応している。
説明されていない部分。
飛ばされた部分。
なぜそうなったのかが見えない部分。
そこに違和感を覚える。
正直に言えば、
胡散臭く感じる。
もちろん証拠はない。
しかし空白は見える。
だから保留する。
結論を急がない。
観測を続ける。
今回見えたもの
量子コンピューターから始まった。
しかし最後に見えてきたのは、
量子コンピューターではなかった。
人はなぜ、
世界の見え方が変わるのか。
認識はどこで相転移するのか。
撞点とは何か。
閾値とは何か。
スレスレとは何か。
その景色だった。
そして今はまだ、
線を引く時ではない。
点は見えた。
しかし線はまだ引かれない。
観測は続く。
つづく。
