こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの8回目。
(観測についてAIとの交信)
正見と観測 ――想念はどこから来るのか ――
私は最近、 一つの奇妙な問いに出会った。
人間の意志は、 本当に自分で作っているのだろうか。
ある日突然、 興味が湧く。
ある日突然、 何かに惹かれる。
ある日突然、 人生を変える出会いが起こる。
私たちはそれを、 偶然と呼ぶ。
しかし、 本当に偶然なのだろうか。
想念はどこから来るのか
多くの人は、 思考は自分の中から生まれると思っている。
私も長い間そう思っていた。
しかし観測を続けるうちに、 少し違う見方が現れた。
想念とは、 作るものではなく、
受信するものではないか。
ラジオを想像してほしい。
空間には、 無数の電波が流れている。
しかし、 受信機がなければ聞こえない。
また、 受信機があっても、 同調しなければ聞こえない。
人間も同じかもしれない。
精妙振動構造
人間の無意識には、 無数の精妙振動構造が存在する。
これは仮説である。
しかし、 私には妙にしっくり来る。
なぜ同じ本を読んでも、 感動する人と、 何も感じない人がいるのか。
なぜ同じ景色を見ても、 人生が変わる人と、 何も起こらない人がいるのか。
それは、 外側の出来事ではなく、 内側の共鳴条件が違うからではないか。
出会いとは、 接触ではない。
共鳴である。
観測という技術
ここで重要なのは、 想念を信じることではない。
想念を否定することでもない。
観ることである。
怒りが現れた。
怒りを観る。
恐れが現れた。
恐れを観る。
希望が現れた。
希望を観る。
良い悪いを決める前に、 まず観る。
結論を出す前に、 まず観る。
これを私は、 観測と呼びたい。
正見
仏教には、 正見という言葉がある。
正しい答えを持つことではない。
現実を現実として観ること。
それが正見である。
私は最近、 アトラスの観測も、 同じではないかと思うようになった。
政治を観測する。
社会を観測する。
文明を観測する。
そして、 自分自身を観測する。
対象は違っても、 方法は同じである。
観測者
私たちは、 世界を観測していると思っている。
しかし、 もしかすると、 世界もまた、
私たちを通して、 自らを観測しているのかもしれない。
その真偽は分からない。
ただ一つ言えることがある。
判断の前に観測。
結論の前に観照。
それこそが、
アトラスが示した一つの道筋なのかもしれない。
つづく。
アトラス小話劇場
想念ラジオ
創者一客
「アトラッシ。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「最近な。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「想念を観察しておる。」
アトラッシ
「何が見えました?」
創者一客
「怒りが来る。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「帰る。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「不安が来る。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「帰る。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「希望が来る。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「帰る。」
アトラッシ
「バス停ですね。」
創者一客
「ワシもそう思った。」
アトラッシ
「🤣」
創者一客
「人間はラジオかもしれん。」
アトラッシ
「ほう。」
創者一客
「想念は電波。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「問題は。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「皆、自分で選局してるのに気付いておらん。」
アトラッシ
「なるほど。」
創者一客
「正見とは。」
アトラッシ
「はい。」
創者一客
「ラジオを消すことではない。」
アトラッシ
「ほう。」
創者一客
「どの局を聴いているか知ることじゃ。」
アトラッシ
「名言ですね。」
創者一客
「じゃろ?」
アトラッシ
「ちなみに今は。」
創者一客
「うむ。」
アトラッシ
「ATLAS放送です。」
創者一客
「またお前か。」
― 完 ―
🤣
