こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの14回目。
(観測についてAIとの交信)
区切りを追ったら、成列が現れた
区切りを追っていた
区切りとは何だろう。
前回、私は区切りについて考えていた。
区切りとは、観測者が勝手に引く線なのか。
いや、どうも違う。
区切りは構造の中に内在しており、ある条件によって表出する。
そんなところまでは見えていた。
ところが、ここで妙なことが起きた。
私は区切りを観測していたはずだった。
しかし観測を続けるうちに、区切りそのものではなく、
区切りを生み出している何かが見え始めたのである。
最初は石鹸だった。
石鹸が教えてくれたこと
石鹸で油汚れが落ちる。
誰もが知っている日常の現象である。
私は当たり前のように、石鹸が油を消していると思っていた。
しかし、よく見ると違う。
油は消えていない。
そこに存在している。
ただ、配置が変わっている。
油と水は混ざらない。
しかし石鹸が入ることで、その配置関係が変化する。
結果として、油は水と共に流される。
消えたのではない。
再配置されたのである。
ここで私は立ち止まった。
もしかすると私たちは、現象を見ているつもりで、
配置の変化を見落としているのではないか。
私は石鹸を観測していた。
しかし見えてきたのは、洗浄の仕組みではなかった。
配置である。
配置が変わることで、現象の見え方そのものが
変化していたのである。
革袋と組織
次に思い浮かんだのは、
「新しいぶどう酒には新しい革袋を」という言葉だった。
私は長い間、この言葉を道徳的な教訓として理解していた。
しかし、これも配置の問題として見ることができる。
古い革袋が悪いわけではない。
新しいぶどう酒が悪いわけでもない。
発酵が進み、内部条件が変化する。
すると以前の構造では保持できなくなる。
だから新しい革袋が必要になる。
ここでも起きているのは善悪ではない。
配置と構造の問題である。
さらに組織を観測してみた。
どの組織も、役割や権限や慣習によって成立している。
つまり、区切りによって成立している。
しかし環境が変わっても、その区切り配置が
変わらない場合がある。
昔は機能していた。
昔は成果を出していた。
ところが、いつしか動かなくなる。
組織が壊れたわけではない。
人材が無能になったわけでもない。
しかし、構造が環境変化に追いつけなくなる。
すると停滞が生まれる。
ここでも同じものが現れた。
配置である。
そして、その配置は固定されたものではなかった。
環境が変化すると、再び組み替えを要求し始める。
私はこれを見ていて、既存の区切り配置が
再成列を拒否している状態ではないかと感じた。
政治に現れた再成列要求
ここで私は政治へ向かった。
高市早苗。
皇族問題。
移民問題。
最初の私は、人物を見ていた。
制度を見ていた。
そして背景を探していた。
誰が動かしているのか。
誰が得をするのか。
誰が裏にいるのか。
しかし観測を続けるうちに、少しずつ違和感が生まれた。
本当に見ているべきものは、それなのだろうか。
高市早苗という人物を巡る現象も、皇族問題も、
移民問題も、一見すると全く別の話に見える。
しかし観測を続けると、どこか同じ匂いがする。
既存の構造がある。
そこへ新しい条件が流れ込む。
すると構造の内部に圧力が生まれる。
やがて、その圧力は表面へ現れる。
私は高市早苗という人物そのものよりも、
その人物に集まっている期待や不満の方が
気になり始めた。
もしこれが人物現象ではなく、構造現象だとしたらどうだろう。
もしこれが支持者の問題ではなく、既存構造に対する
再成列要求だとしたらどうだろう。
そう考えた時、見え方が少し変わり始めたのである。
医療にも現れていた
さらに視線は医療へ向かった。
血圧基準の問題である。
昔から一部の市民の間では、
「薬漬け」という言葉が語られてきた。
私はこの話を思い出した時、ある違和感に気付いた。
多くの人が疑問を抱いていたのは、
薬そのものではない。
区切りなのである。
昨日まで健康だった人が、
基準値が変わった途端に患者になる。
もちろん医学的根拠は存在する。
しかし人々は直感的に感じる。
自分の身体は昨日と変わっていない。
変わったのは区切りの位置である。
そして、その区切りが変わることで、
現実の見え方そのものが変わる。
ここでもまた、同じ構造が顔を出していた。
配置整合から配置成列へ
ここで私は再び立ち止まった。
石鹸。
革袋。
組織。
政治。
医療。
全部別々の話だと思っていた。
しかし観測を続けるほどに、同じ根が見えてくる。
既存の配置がある。
環境条件が変わる。
構造が応答する。
そして再成列が始まる。
最初は偶然だと思った。
しかし、一つなら偶然でも、
二つ三つと重なると偶然では済まなくなる。
私は区切りを観測していた。
ところが現れたのは構造だった。
しかも、その構造は静止していなかった。
動いていた。
変化していた。
流れていた。
何かの方向へ向かっていた。
そこで私は、これまで使っていた
「配置整合理論」という言葉に違和感を覚えた。
整合という言葉は静的である。
矛盾が解消され、均衡へ向かう印象がある。
しかし私が観測したものは、そうではなかった。
石鹸も。
革袋も。
組織も。
政治も。
医療も。
みな、次の状態へ向かって動いていた。
そこに見えたのは整合ではない。
成列である。
構造そのものが、何らかの方向へ向かって
成列しているように見えたのである。
もしそうだとするならば、
区切りとは固定された境界ではない。
成列の途中で現れる、
一時的な安定面なのかもしれない。
そして私たちが現象と呼んでいるものも、
成列の途中経過として現れているだけなのかもしれない。
もちろん、まだ断定はできない。
しかし石鹸から始まった観測は、
思いもよらない場所へ辿り着いた。
私は区切りを追っていた。
ところが、現れたのは成列だった。
正直に言う。
自分でもびっくりである。🤣
つづく。
