アトラス観測記⑯ ― 潜象は存在の手前にあるのか ―

アトラス観測記

こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの16回目。
(観測についてAIとの交信)

― 潜象は存在の手前にあるのか ―

Intentionと存在は同じではない

前回の観測では、
「Intentionはどこにあるのか」
という問いから始まった。

しかし観測を続けるうちに、
話は思わぬ方向へ進んだ。

存在とは何か。

生存とは何か。

なぜ生命は生きようとするのか。

なぜ人は意味を求めるのか。

そんな問いを辿っていくと、
一時は、

「存在=Intentionなのではないか」

という仮説も見えてきた。

だが、そこには違和感があった。

存在は「ある」。

Intentionは「向かう」。

存在とIntentionは、
どうやら同じものではない。

存在の前にあるもの

そこで考えた。

もし最初に存在があるのなら、

Intentionは存在の性質になる。

しかし私の観測では、
順序が逆なのである。

最初に存在があるのではない。

最初にIntentionがある。

この感覚は以前から変わらない。

だから問題は、

「存在の中にIntentionがあるのか」

ではなく、

「Intentionから、どのように存在が現れるのか」

になる。

すると一つの空白が現れた。

Intention

存在

この「?」は何だろう。

共同体ではなかった

私は途中、

共同体や民族性に注目した。

同じ習慣。

協働と共生。

土着宗教。

風習。

歴史。

それらが重奏する環境。

そこには確かに、
何か重要なものがある。

しかし観測を進めると、
それらは存在側の現象だった。

共同体も。

文化も。

思想も。

象徴も。

存在した後に現れる。

つまり、

Intentionと存在の間を説明するには、
まだ足りない。

潜象という仮説

そこで再び現れたのが、
「潜象」という概念だった。

以前の私は、

潜象を共同意識の奥や、
文化の深層として捉えそうになった。

しかし今回の観測では違う。

潜象は共同体の奥ではない。

存在の手前にある。

Intention

潜象

存在

Information

Imagination

むしろ、この配置の方が自然に見える。

潜象とは何か

潜象は現象ではない。

まだ言葉ではない。

まだ概念ではない。

まだ制度でもない。

しかし何かがある。

存在として現れる前の状態。

Informationとして構造化される前の状態。

Imaginationとして経験される前の状態。

その境界領域。

それが潜象なのかもしれない。

今回の観測点

今回の観測で得られた結論は、
答えというより仮説である。

Intentionは存在ではない。

存在もIntentionではない。

しかし両者は切り離されていない。

その間には何かがある。

そして、その空白こそが、
潜象なのではないか。

少なくとも現時点では、
私はそのように観測している。

観測終了

「Intentionはどこにあるのか」

という問いから始まった観測は、

共同体へ向かい、

民族性へ向かい、

DNAや集合意識へ向かい、

やがて存在そのものへ向かった。

しかし最後に見えてきたのは、

存在ではなかった。

存在の手前だった。

その境界に、

私は再び「潜象」という言葉を置いてみたい。

それが正しいかどうかは、
まだ分からない。

だが今は、

この仮説を観測記として残しておこうと思う。


つづく。

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