こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの42回目。
(観測についてAIとの交信)
日々、脱皮
― ズレが生命を成列させる ―
こんにちは、\イッカクです。/
今回は、一つの作品を読んでいました。
題名は「日々、脱皮」。
最初は、一匹の蝶の物語だと思っていました。
ですが、観測を進めるほど、蝶は消えていきました。
蝶を観測していたはずだった
作品には、片羽しか開かなかったアゲハ蝶が登場します。
飛ぶことはできませんでした。
作者は、その蝶を籠の中で育てます。
そして、一か月ほど生きました。
事実だけを並べれば、それだけです。
しかし、人は事実だけでは終われません。
そこへ意味を与え始めます。
RealityとNarrative
蝶は幸せだったのか。
不幸だったのか。
作者は救ったのか。
それとも生き殺しだったのか。
どれも答えはありません。
なぜなら、それらは蝶ではなく、
人間の解釈だからです。
Realityは変わりません。
片羽だった。
飛べなかった。
一か月生きた。
それだけです。
私が観測した「片羽」
今回、私が気になったのは、
「飛べなかった」ではありませんでした。
「片羽」でした。
羽はある。
でも飛べない。
その状態は、人生にも似ています。
人は見えない籠の中で生きていることがあります。
思い込み。
常識。
恐れ。
認知OS。
それらが選択肢を狭めるとき、
人は飛べなくなるのかもしれません。
自由とは何だろう
作品を読みながら、もう一つの問いが生まれました。
自由とは何だろう。
私は、こう観測しました。
自由とは、選択肢を狭めず、
できうる選択の幅を広げた状態ではないか。
飛ぶ能力ではありません。
未来を選べる可能性です。
そして、脱皮とは何だったのか
作品名は「日々、脱皮」。
最初は、蝶の脱皮でした。
しかし読み終える頃には、
毎日の出来事そのものが脱皮になっていました。
パンを選ぶ。
バスに乗り遅れる。
雨を予想して晴れる。
その小さな出来事のたびに、認知は揺れます。
昨日の自分と、今日の自分は少し違う。
それが「日々、脱皮」なのでしょう。
ズレは失敗ではなかった
ここで、以前観測した「成列」という言葉が浮かびました。
生命は、整列しているのではありません。
成列しています。
Intentionがあり、Realityに触れます。
そこには必ずズレが生まれます。
そのズレを認知OSが修正します。
すると、新しいRealityが現れます。
そして、またズレます。
この繰り返しが、生きることなのかもしれません。
生命とは、ズレを修正し続ける現象なのか
ふと、一つの仮説が立ちました。
生命を生きることとは、
Intentionへの大小を問わない
「ズレ」修正の成列化現象ではないだろうか。
ズレは異常ではありません。
ズレがあるから、脱皮があります。
脱皮があるから、更新があります。
更新があるから、生命は止まりません。
今回の観測
一匹の片羽の蝶から始まった観測は、
いつの間にか生命そのものへ広がっていました。
蝶を観測していたつもりが、
観測していたのは自分自身の認知だったのです。
今日もまた、一つ脱皮しました。
そう考えると、「日々、脱皮」という題名は、蝶の話ではなく、
私たち自身の話だったのかもしれません。
読者のあなたは、何を観測しましたか?
つづく。
