こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの17回目。
(観測についてAIとの交信)
存在は象徴によって呼び出されるのか
― 存在を探していたら、
象徴に行き当たった ―
存在はどこから現れるのか
前回、
私は潜象について
観測していました。
存在の手前に、
まだ存在ではない何かが
あるのではないか。
そんな景色を
眺めていたのです。
ところが、
観測を終えたあとも、
一つの疑問が
残りました。
潜象があるとして、なぜ存在は
現れるのでしょう。
私はいつの間にか、潜象そのものより、
存在が現れる瞬間の方へ
興味が移っていました。
存在が生まれる前を眺める
そこで私は、
存在が成立する前を
眺めてみました。
国家が生まれる前。
宗教が生まれる前。
共同体が生まれる前。
そんな場所です。
すると、
妙なことに
気付きました。
まだ制度はありません。
まだ法律もありません。
まだ組織もありません。
ところが、
人々は既に何かを共有しています。
私はそこで、足を止めました。
存在は無いのに、共有だけが
先にあるのです。
共有されていたもの
さらに観測を続けました。
すると、
旗があります。
神話があります。
理念があります。
物語があります。
名前があります。
人々は、
それらを通して
何かを共有しています。
私は最初、
それを当たり前の景色だと
思っていました。
ところが、よく考えると
妙なのです。
存在はまだ無い。
しかし、
共有は始まっている。
その共有を支えているのは、制度ではありません。
法律でもありません。
どうやら、
別の何かです。
象徴に行き当たる
そこで私は、
共有されているものを眺めてみました。
旗。
神話。
理念。
物語。
名前。
それらには、
共通する性質が
ありました。
それは、
何かを指し示している
ということです。
私はそこで、
一つの言葉を思い出しました。
象徴です。
そして気付いたのです。
私は存在を探していたはずなのに、
先に象徴へ行き当たっていたのです。
なぜ象徴が先なのか
ここで私は、少し考え込みました。
普通に考えれば、
存在が先で、象徴は後です。
国家があるから旗がある。
宗教があるから神話がある。
そう考えていました。
ところが、
観測している景色は逆でした。
旗がある。
神話がある。
念がある。
そして、
その後に存在が現れているように見える。
私はそこで、
順番が逆なのではないかと思い始めました。
潜象との距離
そこで再び、
前回の潜象を思い出しました。
潜象は見えません。
語れません。
掴めません。
しかし、
何かはあります。
一方で、
象徴は見えます。
語れます。
共有できます。
その違いを眺めているうちに、
一つの仮説が浮かびました。
象徴とは、
潜象が最初に姿を現したものでは
ないでしょうか。
潜象から象徴へ。
象徴から存在へ。
そんな流れが、
ぼんやりと
見え始めたのです。
今回見えてきた景色
今回、
私は象徴を観測するつもりはありませんでした。
存在を
観測していたのです。
ところが、存在へ近付こうとすると、
必ず象徴が現れました。
しかも、
存在の後ろではなく、存在の前です。
私はまだ、
この意味を
理解できていません。
しかし、
一つだけ言えることがあります。
存在の入口には、
いつも象徴が立っているように見えるのです。
どうやら次は、
象徴そのものを観測する必要がありそうです。

