【徒然日記】
7_日本人のルーツと日本人の世界的境遇

日記


こんにちは、 \イッカクです。/
今回は、日本人のルーツと日本人の世界的境遇の七回目
日本古来からの
各神社にも伝わる、あの「国譲り」物語が、なんと
中国の地でも発見!です!!
では、
<引用開始>_______

中国・戦国時代の斉(せい)は出雲の国の事だった!?

古代中国に日本人がいた!?
しかもこの日本人は漢字の発明者らしい。

私は不思議に思って、
改めて日本神話と斉の国の神話を
読み直してみることにした。

するとどうだろう、
これまで誰も考えつかなかったような、
もっとすごいことがわかってきたのである。

それはプロローグにも記したが、
日本神話と斉の国の記録のなかにみられる
「国譲り」の話
が驚くほどよく似ていることだ。
かいつまんで話すと、こうなる。
斉の最後の王である王建は、
秦の始皇帝に国譲りをしている。
一方、出雲神話のなかにもオオクニヌシが
ニニギノミコトに国譲りをした
という話がある。

そこに登場するオオクニヌシの祖父は
サシクニヲホといい、
母はサシクニワカヒメという。

この二人の名前を北海道異体文字で
表わしてみると、


105ページ図10のようにそれぞれ、「敫(きょう)」
「君王后(くんこうおう)」という字になる。

もうお気づきだろう。
斉の最後の王、王建の祖父と母は、
オオクニヌシの租父および母と、
ピッタリ一致してしまうのだ。

ということは、
出雲神話のサシクニヲホとサシクニワカヒメが、
それぞれ斉の国の?と君王后という人物に
すり替えられた、
ということではないだろうか。

そう思って、ほかにもいろいろ
調べているうちに、
それを裏づける証拠が次々と出てきた。
まず、それぞれの国譲りをした場所と、
そのあと移った場所について、
さきほどのようにして調べてみると、
これまたピッタリ一致することが判明した。
すなわち、日本神話のイナサノヲバマが斉の「荊」に、
タギシノヲバマが「松柏」
という字になるのである。

このことは何を意味しているのだろうか。
これは、中国大陸を舞台とした
出雲のかつての真実の歴史が、
のちに漢字に書き改められ、
中国の歴史にすり替えられてしまった、
ということを意味していないか。

さらに、
この頃(戦国時代)の貨幣を調べてみると、
戦国諸国が現在の中国大陸にあったなら、
当然、それぞれ独自の貨幣を
もっていたはずなのに、
どれも斉の貨幣と同じものを
使用していたことが判明している。
しかも奇妙なことに、
その貨幣にはすべて、
たとえば「アマフユキヌ」のように、
当時の出雲の王の名が
神代文字で刻まれているのだ。

この事実からも、
戦国時代の斉の正体は、
日本神話でいままでその実在性が
疑問視されてきた出雲の国だった
ことがよくわかるのである。
が、決定的なのは次の事実だ。

出雲を神代文字で表わし、
それを組み合わせてみると、
なんと〝斉〟という字になる。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/50/7dd7b8192717c6ab8b0169eaa53f682c.jpg
これをみれば、
中国の歴史がすり替えられたことは
一目瞭然である。
どうやら中国においても、
『史記』以前の記録のすり替えが
行なわれたことは間違いないようだ。

いってしまえば、
漢の武帝が紀元前一〇八年頃、
司馬遷に書かせた『史記』とは、
とんでもないクワセモノということになる。

司馬遷は
『史記』の執筆中、獄につながれていた。
完成後には解放される約束
であったにもかかわらず、
まもなく殺されてしまった。

これはちょうど、
『古事記』の編纂に携わった
稗田阿礼が、やはり『古事記』完成後に
殺されたという事情とよく似ている。
両者は偶然の一致とは思えない。
日本の太古史と中国の古い歴史を
抹殺しようとした勢力が、
それぞれの背後にあったことは間違いない。

紀元前の中国史を書き換えた 〝西から来た人〟とは何か?

私はその正体を追ってみた。
その結果私が得た結論は、
さきの『契丹古伝』に記された
とおりだった。
『契丹古伝』が語るところを引用してみよう。

その昔、地球は大異変に見舞われ、
恐るべき洪水が発生して、
海と陸の形はすっかり変わってしまった。

この異変で地軸が傾いた結果、
大地は中国の北西部で縮んで盛り上がり
(ヒマラヤの隆起)、
南東部で引き裂かれて沈没した
(フィリピン海溝の形成)……。

尭・舜の時代に地球の全土は
戦火に包まれ、
禹(う)は洪水の後始末に追われた。

ところが、
このような戦争と異変の混乱に乗じて、
人身牛首の神を祀るもの、蛇身人首
の鬼を祀るものが、
西から東へ次々とやって来て、
我らの地に住みついた……。

前述したように、
『契丹古伝』はここで、
紀元前の中国大陸のもともとの
主人公は今の中国人ではなかった、
と述べている。
現在では漢民族が最初から
中国五干年の歴史の主人公であったかのように
説かれているが、
それは事実ではないらしい。
紀元前の中国の歴史は、西から来た人々によって
書き換えられてしまった、
というのである。
その先をもうすこしみてみよう。

彼らはみずからを
我ら東大古族の神の子孫と偽ったばかりでなく、
伏犠(ふくぎ)や神農(しんのう)、
黄帝(こうてい)、少昊(しょうこう)なる人物を、
我らの王の祖先に仕立てあげ、
その系図に自分たちの祖先をつなげて、
これら偽りの神と王に対する
崇拝を我らに強制して、
みずからを聖帝の子孫なりと
誇らしげに語っている。

ここに書いてあることは非常に重大である。
私たち日本人と契丹人は
〝東大古族〟といわれていたが、
西から侵入してきた人たちが、
自分たちこそ東大古族の神の子孫であると偽り、
系図や歴史まで自分たちのものとして
でっちあげたというのである。
さらに先がある。

けれども彼らは、
みずからの祖先と思っていた
尭と舜が、彼らの思惑に反して、
東大古族の王であったことをはたして
知っているのだろうか。

西から中国の地に移住して帰化した人々が、
我らの王に仕えたのは、尭・舜のときではなく、
その後久しく續いた夏王朝の創始者たる
禹のとき以来のことである。
彼らは禹を、あたかも彼ら中国人の王であり、
中国大陸だけを治めた王であったかのように
記しているが、
これはとんでもない間違いだ。

これらのことがもしも事実だとすると、
これはゆゆしきことである。
つまり、中国大陸のもともとの主人公は、
いまの中国人の祖先ではなく、
東大古族といわれていた
日本人と契丹人の共通の祖先だった、
ということになるからだ。
さらに『契丹古伝』はこう語る。

『史記』に記された禹は、
大洪水を生きのびて
ティルムンの楽園に住んだシュルッパクの王、
ウトナピシュティムをさしている。
彼の治めた地域は、
息子のギルガメシュが活躍した
メソポタミアのウルクだけでなく、
全世界に及んでいたのである。

我ら東大古族の王である禹は、
中国だけの王ではなく
世界全体の王であったことが、
西族の伝承によっても確かめられるのである。

ここに「西族の伝承」と記されているのは、
中国大陸に西から侵入した
アッシリヤ人(漢人)が今のイラクあたりに
残した粘土板文書に登場する
シュメール伝説をさしている。
しかし私たちは、そのシュメール伝説の
ティルムンの王がはたして
我々日本人とどんな関係があるか調べてみなければ、
ここに書いてあることを
にわかに信じるわけにはいかない。
私はさっそくアッシリヤの歴史を調べ、
「西族」の宮殿跡から出土したといわれる粘土板文
書にあたってみた。すると……。
<引用終り>_______
以上、今回で、
「太古、日本の王は世界を治めた!」の第三章
古代日本は中国に占領された_漢字文化に抹殺された真実
について、日本探検協会編の高橋良典著からの
文章の引用でした。

■編集後記
さて、、この書籍を読んでいくと
・伝説の楽園「ティルムン」を求めて(インド”高天原”への道)
・世界に雄飛した太古カラ族(インダス文明の建設者は日本人だった)
・太古日本の王は世界を治めた(実在した!幻の東大国ティルムンの王)
上記の記載の後に

太古日本は世界に広がっていた
(二十一世紀”地球統一国家”の夢)

というエピローグでは、奇想天外な
話にはなるかも知れないけど、
結局、
太古の日本人は、カラ族であり
ティルムン王によって世界統治が
なされていた。
これまたカラ族の古い祖先が

子孫のために残した宇宙船(サブハ)を
見つけて、以後、世界中を
それで、雄飛して、各土地の種族との
交流するなどして繁栄
統治していたことまで
書いてあります。

では、また、次回へ続きます。

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