【徒然日記】
6_日本人のルーツと日本人の世界的境遇

日記


こんにちは、 \イッカクです。/

前回までは、文書を保存しようとする敗者の側は、
さまざまなカムフラージュを施すことになる。
ので、後世の私たちが読むと、
難解で奇想天外な話として映り、
それが歴史的事実だということが
わからなくなってしまいそうになっているとの
ことだった。
今回は、そのことを踏まえて、他の古史古伝に
目を向けている作者の考察が述べられている。

では、
<引用開始>_______

〝闇の封印〟の外にある『契丹古伝』の発見

このような視点に立って、
読者とともに古史古伝を読みながら
本書を進めていこうと思うの
だが、まず最初にあげられるものは
『契丹古伝(きったんこでん)』であろう。

『契丹古伝』は九四二年に編纂された
遼(契丹)王家の史書である。
遼は、文献史上では五世紀に内モンゴルの
シラムレン河流域に現われた
遊牧狩猟民族・契丹(キタイ)が十世紀に
打ち立てた王朝で、
モンゴルから中国東北地方と
華北の一部にまたがる地域を支配していた。
宋から燕雲十六州を奪うなど、
いわば中国(漢人〈漢民族〉)と対抗していた
といっていい。
しかも『契丹古伝』は一九〇五年に
現在の中国・吉林省で発見されるまで
長い間王家の人々によって守られてきたため、
漢民族の〝闇の封印〟にあっていない。
そしてこの、『契丹古伝』の編纂目的は、
建国まもない遼(九一六~一一二五)の王家が
みずからの歴史的背景と
正統性を明らかにしながら、
漢民族の中原(ちゅうげん)支配
抵抗する周辺民族の団結を
リードし、鼓舞するところにあった。

が、同書は結果的に、
私たち日本人が今となっては入手できなくなった
『秘府録』(後述)
をはじめとする八世紀以前の
古代史料を駆使することによって、
記紀や他の古史古伝から洩れてしまった
渤海滅亡以前の
高句麗・日本の太古史を明らかにする
数少ない貴重な資料となったのである。

これは、同書の編纂に携わった
契丹の史官・耶律羽之(やりつうし)の
歴史家としての資質が優れていたこと、
すなわち憶説にたよらず
「史料に語らせる」という
客観的で実証的な叙述方法の
賜物である。

『契丹古伝』は『秘府録』その他の資料を
忠実に引用することによって、
私たちがもはや知る機会のなくなった
太古日本の歴史の真相を
間接的に物語ることになった。

さらにこの書物は、
契丹王家の源流を明らかにする試みを通して、
アジア全土にかつて栄えた高句麗・日本の
王家の失われた歴史をよみがえらせ、
今は亡き契丹人の祖先とともに
私たち日本人の祖先が
西方からの侵略者と勇敢に戦ったことや、
漢帝国の成立以前に彼らが世界各地
で活躍した事を伝えてくれるのである。

紀元前の日本史と世界史の虚構が暴かれる!

さて、『契丹古伝』が私たちに
垣間見せてくれる太古日本の歴史は、
その内容があまりにも
通説とかけ離れているため、
これまで欧米や中国の学者たちが流布してきた
世界史の常識に従えば、
まったくの空想としか思えない。
が、『契丹古伝』によれば、
私たち日本人と契丹人の共通の祖先である
「東大神族(シウカラ)」(『契丹古伝』では
「東大古族(とうたいこぞく)」とも記される)の
歴史は、過去三千年にわたって
エジプト、シュメール、インダス、黄河の地を
次々に侵略してきた
アッシリヤ人、つまり中国で漢人(あやひと)
として知られる
欧米の支配階級アーリヤ人の手で抹殺され、
改竄(かいざん)されてきたという。

つまり、私たちがこれまで
教わってきた紀元前の日本と世界の歴史、
とくに秦・漢帝国、ローマ帝国以前に
カラ族=東大神族が
地球の各地で都市文明を興した
史実を抹殺した世界史は
ことごとく虚構である、というのが
『契丹古伝』全体を貫く
基本テーマとなっている。

私たちの祖先の真実の歴史、
カラ族(クル族)と呼ばれてきた
東大神族がかつて地球のすみずみに
築き上げてきた輝かしい
ムー文明(太古日本の宇宙文明)の歴史は、
アトランティス人
(漢人/アーリヤ人/アッシリヤ人)の手で
巧妙に流布されてきた
歴史の通説にひそむ大ウソ

を暴かないかぎり
明らかにすることはできない、
と同書は訴えているのである。

「漢字の発明者・蒼頡(そうきつ)」の
碑文がいまだに
解けない漢字国・中国の謎

たとえば『契丹古伝』は、
紀元前の中国大陸の主人公は
あとからやって來た漢民族ではなく、
もともとそこに住んでいた
日本人の祖先だった、と記す。

そこで、これから述べることは
拙著『超古代世界王朝の謎』(日本文芸社刊)
のなかですでに紹介したことだが、
きわめて重大なことなので
再び取り上げながら、
目を中国自体に向けてみよう。

中国の歴史の記録は、
前漢の武帝が司馬遷に命じて編纂した
『史記』に始まる。
この『史記』の記録に基づいて、
これまで紀元前の中国には、
夏(か)とか殷(いん)、周(しゅう)(西周)という
王朝があったとされ、
やがて秦という強大な王朝が台頭して
中国全土を統一した、
ということになっている。
秦による中国の統一以前の歴史は、
一般には次のようにいわれている。

すなわち、
紀元前七七〇年頃から
東周の時代が始まり、
諸侯の一つであった
大国の晋(しん)が紀元前四〇三年頃に
分裂したあと、戦国時代になった。
そして紀元前五世紀に始まる戦国時代から、
斉(せい)・晋・楚(そ)などの
覇王の戦いが激しくなっていった。
そして、戦国諸国を統一したのが
秦の始皇帝である、と。

しかし、 このように教えられてきた
中国の歴史が はたして真実だったのかどうか、
日本の場合と同様、
考え直してみる必要がありそうだ。

その好例として、
中国の西安郊外に碑林(碑文の林)
というところがある。
その碑林に、
漢字の発明者といわれる
蒼頡(そうきつ)という人物が残した
碑文がある。

誰が閃いたのか?漢字を作った伝説の男!心広き、優しき男、“蒼頡” 見参! | 日本語を楽しもう!!

漢字を発明したのがほんとうに
中国人であるとしたら、
この蒼頡碑文はとっくに中国の学者が
読み解いていていいはずだが、
いまだに中国では謎の碑文として、
未解読のままなのである。

しかし、そこに書かれている文字は、
101ページをご覧になればわかるとおり、
日本に伝わっている
北海道異体文字(アイヌ文字)とそっくりである。
また一部、トヨクニ文字に似ているものもある。
そこで、この蒼頡碑文を、
日本の北海道異体文字とトヨクニ文字の
混用文として
読んでみるとどうだろう。

死後に富むを得
幸い子々孫々まで
満たしめよ
いわん
とくれぐれ言はれけむこと
つつしう
たみたみ慎み思ふ

ここには、古代の日本語として
意味をなす、すばらしい文が
刻まれているのである。
そこで疑問となるのは、
なぜ古代の中国に日本の神代文字で
書かれた碑文があるのか、
ということだ。
これは大問題である。
もしかしたら漢字の発明者と伝えられる蒼頡
という人物は、中国人ではなく、
古代の日本人ではなかったか。
こんな途方もない想像さえ生まれてくる。

<引用終り>_______
蒼頡が漢字発明者で
日本人ならば、
「国譲り」は知っていたかも。。。
次回は、「国譲り」の物語が
中国にもあった!
という話です。

では、次回もまた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました