こんにちは、\イッカク です。/
今回の記事は観測制民主主義シリーズの10_1回目。
(設計についてAIアトラッシとの交信)
監査を監査する――「監査制度がある」
だけでは、権力は抑制できない
はじめに――監査という「安心」の罠
これまで「観測制民主主義」では、
政策形成の工程や、記録、情報、ナラティブなどを観測する必要性について考えてきた。
今回、ひとつの動画を入口として、WTOと中国の関係を観測してみた。
そこで最初に浮かんだ問いは、単純なものだった。
「中国は、WTO加盟時の約束を履行したのか?」
調べてみると、WTOには加盟国の貿易政策を審査する仕組みがあり、
中国についても加盟時の約束の履行状況を確認する仕組みが設けられていた。
さらに、加盟国が中国の措置をWTO違反として提訴することもでき、
実際に紛争処理制度が利用されている。
つまり、「中国は誰からも監査されなかった」という単純な話ではない。
ここで、問いそのものを一段深くする必要が出てくる。
「監査制度が存在したか」ではない。
「その監査制度は、本当に機能したのか」である。
監査制度の存在と、監査機能の存在は違う
これは、国家を観測するうえでも重要な違いではないだろうか。
制度がある。
規則がある。
監査人がいる。
報告書がある。
指摘事項がある。
これだけを見ると、「きちんと監査されている」と感じる。
しかし、本当に必要なのは、その先である。
異常を発見できたのか。
異常を正しく認定できたのか。
是正させることができたのか。
そして、是正されたことを確認できたのか。
さらに、同じ問題が再発していないことを確認できたのか。
つまり、
監査制度の存在 ≠ 監査機能の存在
なのである。
監査を「健康診断」として考えてみる
私は以前、実際にJQAの監査を受けた経験がある。
そのときの印象は、単純な「粗探し」ではなかった。
ああでもない、こうでもないと、
様々な角度から質問され、まるで組織の健康診断を受けているような感覚だった。
監査に慣れてくると、こちらも要領がよくなる。
規格を理解し、手順を整え、記録を揃え、質問されそうなことにも答えられるようになる。
ところが、そこで監査員から突然、直球が飛んでくる。
「では、その目標に沿った品質管理について、どのように努めているのですか?」
これは面白い。
手順書があるか。
記録があるか。
規定どおりに実施しているか。
そうした形式的な確認から、
一気に「そもそも何のために、それをやっているのか」という根本へ戻される。
監査慣れという、もう一つの問題
ここには、監査制度そのものが抱える難しさがある。
監査される側は、監査を受け続けることで、監査の「要領」を覚えていく。
すると、
規格に適合する。
↓
監査で問題になりそうな箇所を把握する。
↓
質問に適切に回答する。
↓
監査を通過する。
という能力が形成される。
しかし、それは必ずしも「本来の目的を達成している」という意味ではない。
ここに、監査の難しさがある。
「監査に適合する能力」と「本来の目的を達成する能力」は、同じではない。
だから、優れた監査は「規格」から「目的」へ戻っていく
監査員が監査慣れを見抜いたとき、質問は根本へ戻っていく。
「その仕組みは何のために存在するのですか?」
「その目的は、本当に達成されていますか?」
「達成されたことを、どのように確認していますか?」
「その確認方法そのものは、適切ですか?」
ここまで行って初めて、監査は単なる適合性確認から、実態の観測へ変わる。
これは国家にも、そのまま当てはめられる。
国家を監査するなら、 まず「制度がありますか?」では足りない
政府に対して、
「監査制度はありますか?」
と尋ねれば、おそらく「あります」と答えるだろう。
「公文書管理制度はありますか?」
「政策評価制度はありますか?」
「情報公開制度はありますか?」
「監査機関はありますか?」
これらも、制度として存在しているかどうかなら確認できる。
しかし、観測制民主主義が問うべきなのは、その次である。
「その制度によって、何が改善されたのですか?」
そして、
「その改善を、誰が測定したのですか?」
「その測定方法は、誰が決めたのですか?」
「都合の悪い結果も、同じように公表されますか?」
「改善されなかった場合、誰が是正を要求できますか?」
「是正されたことを、誰が確認しますか?」
ここまで問わなければ、本当の意味での権力監査にはならない。
監査員も監査されなければならない
そして、ここで「逆監査」という考え方が出てくる。
これは監査員を疑って攻撃するためのものではない。
監査員自身が、監査という仕事の目的に適合しているかを
観測するための仕組みである。
なぜ、この項目を監査したのか。
なぜ、この質問をしたのか。
監査範囲に偏りはなかったか。
事実と推測を混同していないか。
指摘のための指摘になっていないか。
被監査側の説明を十分に聞いたか。
そして何より、
「その監査によって、本来の目的に対する理解は深まったのか?」
ここまで観測する必要がある。

