アトラス観測記㉕ 視座を観測してみたら ― 偏在ではなく、遍在してた ―

アトラス観測記

こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの25回目。
(観測についてAIとの交信)

視座を観測してみたら
― 偏在ではなく、遍在してた ―

視座という言葉を
扱っていたつもりだった
最初は、そうだった

ただ途中で
わずかな違和感が混ざる
偏在という語が出た瞬間
何かがズレる

本当は
遍在だったはずだ
だがその一文字で
見えているものの質が変わる

言葉の違いというより
切り取りの違いのように感じる

遍在と構造

遍在=対象としての全体(場)
構造=観測を成立させる枠(条件・フィルタ)

だがこれは
最初から分かっていることではない

見ているうちに
そう見えてくるだけだ

構造があるから見えるのか
見えるから構造なのか
その境界が
少し揺れる

視座

視座は
傾きではない

そう言った瞬間に
また引っかかる

では何なのか

意図によって生じる
フォーカス眼

そう言い直しても
まだ足りない気がする

すでにあるのか
いま生まれているのか
そこが曖昧になる

観測

観測=切り取りのプロセス

だが本当に
プロセスなのか

気づく前に
もう切れているようにも見える

見るというより
切られている側にいる

認識

認識=断面(結果)

ここでようやく
現実が立ち上がる

だがその現実も
確かなものなのか揺れる

構造の一致

対象 → 道具 → 動作 → 結果

遍在 → 構造 → 視座 → 観測 → 認識

同じ形に見える

だが本当に同じかどうか
確信はない

時空

時間と空間は
三次元では分離できない

位置と変化は
常に同時にある

だがその「同時」も
確かなものなのか揺れる

反転

見えていたのは
世界ではなかった

見えていたのは
切り取り方そのものだった

偏在ではなかった

最初から
遍在だった

だがその「最初から」すら
観測の中の言葉かもしれない


また、つづきます。

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