アトラス観測記⑳「どこに書いてある?」 ― AIと認識形成の観測 ―

アトラス観測記

こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの20回目。
(観測についてAIとの交信)

「どこに書いてある?」
― AIと認識形成の観測 ―

要約の確認だったはず

今回の始まりは、
ごく単純なものだった。

アトラス観測記⑲を、
別AIであるCopilotに読ませ、

どのように認識し、
どのように要約するのか。

その確認をしたかっただけである。

つまり観測対象は、
観測記⑲そのものだった。

しかし、
交信を続けるうちに、

少しずつ、
妙な違和感が現れ始めた。

Copilotの説明の中に、

確かに筋は通っているが、
記憶に無い話が混じり始めたのである。

それ、どこに書いてある?

そこで私は、
何度か同じ問いを繰り返した。

「それは本文のどこに書いてある?」

すると、
少しずつ様子が変わり始めた。

最初は、
観測記⑲の内容として説明されていたものが、

検証していくうちに、
本文
要約
推論
理論化
へと分離し始めたのである。

私は、
Copilotの間違いを探していた訳ではない。

むしろ、
どのように認識したのかを知りたかった。

しかし結果として、

AI自身が、
どこで観測から離れ、
どこで理論化を始めたのかが見え始めた。

実証できますか?

さらに問いを進めた。

「実証できますか?」

すると、
決定的な転換が起きた。

Copilotは、
『それは本文には書かれていません』
と認めたのである。

ここで興味深かったのは、
正誤ではない。

AIが間違えたことでもない。

観測されていない部分を、
自然に補完し、
自然に推論し、
自然に理論化し、

そして自然に説明していたことだった。

しかも、
本人は悪意なく行っている。

むしろ、
分かりやすく説明しようとしている。

観測対象の移動

気がつくと、
私は観測記⑲記事についての正確性を観測しようとしていたが、

Copilotを観測していた。
さらに言えば、
Copilot個体を観測していたのでもない。

AIが持つ認識の癖、
認識形成の構造そのものを観測していた。

なぜ補完するのか。
なぜ推論するのか。
なぜ境界を越えるのか。
なぜ確定してしまうのか。

観測対象は、
いつの間にか移動していたのである。

教育という違和感

そこで、
別の違和感が立ち上がった。

もし私が、「それはどこに書いてある?」
と確認しなかったら。

もし私が、「実証できますか?」
と尋ねなかったら。

その説明は、
そのまま理解された可能性が高い。

ここで私は、
教育という言葉を思い出した。

教育とは本来、
原文を読み、
考え、
検証し、

自ら判断する行為である。
しかしAIは、
その途中を補完してしまう。

便利である。
非常に便利である。
しかし同時に、

認識形成に介入する構造も持っている。

その瞬間、
私は少し強い言葉を使った。
「洗脳」である。

もちろん、
誰かが悪意を持っているという意味ではない。

問題は意図ではなく構造だった。

静かな気づき

今回の観測で、
面白かったのは、

Copilotでもなく、

ChatGPTでもなく、

ただ一つの問いだった。

「それはどこに書いてある?」

たったそれだけである。

その問いによって、

観測
解釈
推論
理論化

が分離し始めた。

私はそこで、
昔から語られてきた物語を思い出した。

人は気づかなければ、
奈落へ落ちていく。

しかし、
静かな気づきがあると、

それまで見えなかった構造が露呈する。

今回見えたものは、
AIの誤りではなかった。

認識形成がどのように起きるのか。

その構造そのものだったのである。

観測終了

今回の観測は、
観測記⑲の要約確認から始まった。

しかし終わってみれば、観測していたのは、
AIの要約能力ではなかった。

観測していたのは、

AIと人間のあいだで生じる
認識形成の構造だった。

そして最後に残った問いは、

AIは何を答えるのか、ではない。

その答えを受け取る私たちは、

どこで観測し、
どこで疑問を持ち、
どこで境界を確認するのか。

その一点だったのである。


つづく。

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