こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの4回目。
なぜ、現実はナラティブに従わないのか
―― ナフサ不足が映し出した文明の限界 ――
パンが無いのに店を開ける
最近、興味深い事例を観測した。
ナフサ不足の影響により、
ある企業が新規受注を停止した。
ところがその後、
受注停止を解除するよう求められ、 企業は受注を再開したという。
しかし、 原料不足が解決したわけではない。
注文は受けられる。
だが、納品できない。
ある人は、 この状況をこう例えた。
「パンが無いのに店を開けろと言われ、
整理券だけ配っている状態だ」
なるほどと思った。
問題は解決していない。
しかし、 解決したような表示だけが先行する。
私はそこに、 現代社会特有の現象を見たのである。
不足の解消と不足の不可視化
本来、 不足が発生した時に必要なのは、
原因への対処である。
原料が足りないなら原料。
輸送が止まっているなら輸送。
設備が不足しているなら設備。
つまり、 現実への対処である。
ところが現代社会では、
別の反応が起こることがある。
不足そのものではなく、
不足が見えることが問題視されるのである。
受注停止。
品切れ。
供給不安。
こうした表示が、 社会不安を拡大させる。
その結果、 問題の解決より先に、 表示の修正が始まる。
私はこれを、 「不足の不可視化」 と呼びたい。
目詰まり型社会の特徴
今回の交信を通じて、
一つの特徴が見えてきた。
目詰まり型社会では、 問題は上流から発生する。
原油。
ナフサ。
樹脂。
包装材。
食品。
医療。
物流。
一つの不足が、 多層的に連鎖していく。
しかも、 それぞれの現場は 自分の担当領域しか見えない。
結果として、 社会全体の危険度が見えなくなる。
症状だけを追いかけ、 根本原因への対処が遅れる。
それは、 配管の詰まりを直さず、
警告ランプだけ消している状態にも似ている。
現実はナラティブに従わない
しかし、 物理現象には厄介な特徴がある。
説明では変わらないのである。
原料が無ければ作れない。
燃料が無ければ動かない。
在庫が尽きれば不足する。
どれほど立派な説明を積み重ねても、 現実は従わない。
むしろ最後には、 現実の方が説明を書き換える。
市場が反応する。
現場が悲鳴を上げる。
消費者が気付く。
そして、 隠されていた問題は再び表面へ現れる。
私は今回、 ナフサ不足そのものよりも、
この現象に強い興味を持った。
観測結果
危機とは、 不足そのものではない。
不足が見えなくなった時に、
本当の危機が始まる。
だから必要なのは、
不安を隠すことではない。
現実を観測することである。
危機を完全に予言することはできない。
しかし、
危機へ向かう流れを観測することはできる。
今回のナフサ不足騒動は、 そのことを改めて教えてくれた。
そして私は、 文明が発する説明よりも、
現実が発する信号の方に注目したいと思う。
つづく。
