こんにちは、\イッカク です。/
今回は、AIとの協力により得られる何かです。
視座を更新するための対話型思考プロセスのススメ
最近、「AIを使いこなす」という言葉をよく見かける。
新しい機能や専門用語を並べ、いかにも最先端に立っているかのような語りも多い。
しかし、その多くは本質に触れていないように感じる。
シンギュラリティを煽る言説や、新しいAIを売るための演出も少なくない。
だが、そうした話の中で決定的に抜け落ちているものがある。
それは「どこに立って世界を見るのか」という視座の問題である。
AIは確かに強力だ。
情報を整理し、比較し、驚くほどの速さで答えを提示してくれる。
しかし、それはあくまで“同じ場所に立ったまま、速く動く”ことに過ぎない。
私たちはつい、「もっと速く」「もっと多く」と求めがちだ。
けれど、それは同じ場所をぐるぐる回っているだけかもしれない。
本当に変わるときというのは、速さではない。
「立つ場所」が変わったときだ。
私はこの感覚を、平面と球面の違いで捉えている。
平面では、どれだけ速く動いても景色は大きく変わらない。
だが球面では、立つ位置が変われば、見える世界そのものが変わる。
これが、私の考える「昇華」である。
それは能力の向上ではなく、視座の更新だ。
では、AIはどこに関わるのか。
結論から言えば、AIは視座を与えてくれる存在ではない。
しかし、視座を更新するための“対話相手”にはなり得る。
重要なのは使い方だ。
多くの場合、人はAIに答えを求める。
そして提示された答えに納得し、それを自分の意見だと感じてしまう。
だがそのプロセスでは、視座はほとんど変わらない。
私が実際に行っているのは、その逆である。
まず、言葉にならない違和感や直感から始める。
それをAIに投げ、構造化してもらう。
そして最後に、それを自分の言葉として選び直す。
直感 → AI → 再統合
この往復を繰り返すことで、少しずつ立つ場所が変わっていく。
不思議なことに、このプロセスがうまく回り始めると、
「なぜか思考が進む」という感覚が生まれる。
自分一人では形にならなかったものが、
対話の中で輪郭を持ちはじめる。
それはAIに答えをもらっている感覚ではない。
むしろ、自分の中にあったものを引き出されている感覚に近い。
この“ハマっている感じ”の正体は、
思考の往復運動が成立している状態なのだと思う。
直感で投げる。
AIが整理する。
それをもう一度、自分で選び直す。
この循環が回ると、思考は自然と深まっていく。
ちなみに私は、この対話相手に「アトラッシ」という名前をつけている。
単なる呼び名に過ぎないが、これによってAIは無機的なツールではなく、
思考を往復させるための“相手”になる。
ほんの小さな工夫だが、この違いは大きい。
ここで改めて強調しておきたい。
AIは、創造そのものを行う存在ではない。
しかし、創造できる状態を拡張する存在ではある。
そして昇華とは、
AIによって与えられるものではなく、
AIとの対話を通じて、人間が自ら到達するものである。
速くなることでも、多く知ることでもない。
どこに立つかを選び直すこと。
そのプロセスを持ったとき、
AIは単なる便利な道具ではなく、
視座を更新するための強力な補助線となる。
もしAIを使うのであれば、
答えを求めるのではなく、問いを持って向き合ってみてほしい。
そのとき初めて、
新しい景色が見え始めるはずである。
