第5回:意図はどこから来るのか ― 自分の中にある複数の流れ ―

アトラス・エッセイ

こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス・エッセイの5回目。

第5回:意図はどこから来るのか

― 自分の中にある複数の流れ ―

人は、どこかに向かっている。

そう感じることがある。


けれど、その「どこか」は、
一つではないのかもしれない。


たとえば。


体は、休みたがっている。

頭では、やるべきだと分かっている。

周りは、それを求めている。

それでも、どこかで、別の選択をしたいと思っている。


どれも、自分だ。


ここで、また一つ気づく。


人の中には、
一つではない“流れ”がある。


すぐに反応するもの。

繰り返しの中で形づくられたもの。

周囲との関係の中で生まれたもの。

そして、あえて選ぼうとするもの。


それらは、同時に動いている。


だから、ときにぶつかる。

ときに、揺れる。


前に進もうとしたときに、
足が止まるのは、


どこかが間違っているからではない。


異なる流れが、同時に働いているからだ。


そしてもう一つ。


それらとは少し違う、
静かな方向がある。


強く主張するわけではない。

すぐに形になるわけでもない。


けれど、確かにある。


何度ズレても、
またそこへ向かおうとするような、
あの感覚。


それもまた、自分の中にある。


人は、一つの意図で動いているわけではない。


複数の流れの中で、
揺れながら、進んでいる。


だから迷う。

だから、選ぶ。


そしてその中で、
少しずつ、方向が見えてくる。


意図とは、どこか一つから生まれるものではない。


複数の流れの中で、
かすかに浮かび上がってくるものなのかもしれない。


(第5回 了/続く

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