第6回:意図には層がある ― 同じ「自分」でも、同じではない ―

アトラス・エッセイ

こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス・エッセイの6回目。

第6回:意図には層がある
― 同じ「自分」でも、同じではない ―

人の中には、
いくつもの流れがある。


前に進もうとしたときに、
足が止まるのは、

一つではない何かが、
同時に動いているからだった。


では、その「流れ」は、何なのか。


少しだけ、言葉にしてみる。


たとえば。


熱いものに触れた瞬間、
考える前に手を引く。


これは、反射だ。


気づけば、同じような選択をしている。

いつも似たところで迷い、
似たところで立ち止まる。


これは、積み重なってきた習慣だ。


周りの期待や、環境の空気に合わせて、
自然と動いてしまうこともある。


これは、関係の中で形づくられた流れだ。


そして。


本当はどうしたいのかを考え、
あえて選ぼうとすることもある。


これは、意識的な選択だ。


どれも、自分だ。


どれかが正しくて、
どれかが間違っているわけではない。


ただ、それぞれが違う速さで、
違う強さで、同時に動いている。


だから、揺れる。


そしてもう一つ。


それらとは少し違う、
より静かなものがある。


すぐに言葉にはならない。

すぐに形にもならない。


それでも、何度ズレても、
また同じ方向を指し示すもの。


それもまた、
自分の中にある。


こうして見ていくと、


人の中には、
いくつもの層があることに気づく。


反射の層。
習慣の層。
関係の層。
選択の層。


そして、
その奥にある、静かな層。


どれか一つで動いているわけではない。


それらが重なり合いながら、
一つの現実を形づくっている。


だから、ズレる。


それは、壊れているからではない。


もともと、一つではないからだ。


そして。


どの層に耳を傾けるのかで、
進む方向は、少しずつ変わっていく。


(第6回 了/続く)

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