「封印教育」について・・・決りきった答え合わせ教育の弊害から、物事の本質に迫るアプローチへの脱皮時代が今だ!

社会問題


こんにちは、\イッカク です。/

日本は、戦後、高度成長を終え、
経済が不安定になった以降、
会社の定年制度も見直され
「終身雇用」の廃止や
年功序列の考え方も
軽視されています。

すでに時代の流れは変化し
会社や学校も
流れに流されて、波に
乗れてないような状況です。

何が、そう感じるのか?

無意識に「思考法」が古いのです!
したがって、「観念」という
意味すらも
誤読しているのでは?・・・・・・
と思いたくなります。

何を云いたいか?

「現場、現物、現実」に固持した
思考法だけが、まかり通っている
偏った世界に浸っている。

ということです。

未だに、会社や学校では
「具体的に説明しなければ
理解できない」の一点張りで、
モノゴトを
抽象的に考えて、それを概念として
捉えて、概念的な意思決定をする
ことが、全く出来ていないのです。

なので、繰り返しになりますが、
抽象的であることは、悪いことの
ように考える思考の枠に
はまったままなのですね。

抽象的・概念的という本来の意味は
「いくつかのモノゴトに
共通なものを抜き出して、
それを一般化して考えるさま」
ということであり、

「頭の中だけで考えていて、
具体性に欠けるさま」という
意味もあるようなところがあって
いかにも、
具体性に欠けるのは「ダメ」
というレッテル貼りを
して、抽象的思考を
封印している感じに思えるのです。

まるで、勘ぐりたくなるような
状態です。

それは、日本人は、
概念的であることを
好ましくないこととして
とらえてしまう

教育に原因があったのだと
思います。

この教育=「封印教育」で
あったことは、
戦後GHQが敷いた洗脳教育
にほかなりません。

簡単に言えば、戦後の焼け野原の
日本はGHQ占領下にあり
米英に歯向かうような
「思想的に考える」人間を

造らない
作らせない
思わせない

意味で
抽象的にモノゴトを捉える力を
養わせないように

「現場、現物、現実」に固持させて
トップダウンで教育を進めて
きました。

確かに、三現主義は
有効に働く場面は多くあります。
しかし、人間の成長と
いう観点で見ると
多少の疑問が残ります。

たとえば、コチラの動画では
人間の上昇ステージというのが
あって、
自己中心と自己犠牲という
抽象軸を螺旋階段のように
行ったり来たりしながら
登っていくのが
人間としての
歩むべき道と仮定してみると
面白いのです。
そして、これを観ることで
「社会人」で停滞させて洗脳
していたのがGHQの戦後教育
というものが有ったとしている
・・・

まあ、私は上記関係者では
ありませんが、、、

このように見てくると、、
思春期を不完全燃焼
した社会人とかが
いきなり「幼児性」を
発揮しだすのは
わかるような気がします。
また、
「上昇ステージ」の
各段階のどれかを
すっ飛ばしている人間の
偏った「封印思考」で
「おおらかさ」が無い状態で
精神的な余裕が無くなってる。
「カネだけ、今だけ、自分だけ」
という刹那的な人生観と
死生観になってしまっている
ようにも思います。

自分は「死ぬだけ」とか
他人を「死なすだけ」
という自暴自棄になっている
人も多く見かけられ
結果として、
事件・事故が目立っています。

社会人の方も
会社組織が毒されて
きたんだなぁあと思う次第です。

なので、改めて
現在、会社勤めの方々も

モノゴトを
具体的に考えることも
必要ですが、
もし、息詰まったら、
その具体的に思考する
ことから、一旦離れて
夢のある方向に、何かに例えて
思ってみる。
という「思考能力」を使って
枠を飛び出して
建設的な
方向へ想念を発する
ことをやってみる事を
オススメします。
ぜひ、
「封印思考」に陥ること無く
抽象化して思考する
ことも重要であることに
気付いていただければ
と思います。

これからの時代は
というか、現在、すでに
「体験したことのない」
仕事が山積みに
なってくる状態かもしれません。

なぜでしょうか?

コモディティ化してるから。
四方八方、
どのような物理製品も
同じような機能を兼ね備え
判で押したように
並んでいます。

他社との差別化が図られない

サービス業も
そのようになって来ているのでは
ありませんか?

しかも、マニュアル道理に
接待・応対を行うことで、均一化
してきた。
現在、従業員教育も
それに沿って行ってきている。

果たして、それが同業他社との
競争に勝てるのか?
そのレベルを上げるには?
どうすればよいのか?

「体験したことのない」課題です。

このような現状認識を持ちつつも、
これからは
抽象化して事象を捉え
たとえば、上述で云えば
「我社のサービスとは?」
「そのための接客・応接とは?」
の意味や、
「我社の理想とするものは・・・」
などを考えるための
内省作業として
コンセプチュアルスキル
必要な時代になってきました。

最後に「blogos」からの
引用を挙げておきます。
http://blogos.com/article/46933/
<引用開始>__________
●生死を分けるスキルとしての
抽象化

そんな時代でも
「やったことのない仕事の
職務経験」が求められるような、
一見矛盾した状況に適応する
人材が出てくると思います。
僕は、そうした人材に共通
しているのは、
抽象化スキルだと考えています。

抽象化スキルとは、
その対象となることがらより、
特に注目すべき要素を抜き出しつつ
、他は無視するというスキルです。
これによって、物事の本質に
迫ることができます。

例えば、
「マクドナルドでのアルバイト
経験」ということを
抽象化してみます。

マクドナルドを構成する要素は
「店舗において、顧客と直接対面
しながら、ハンバーガーとドリンク
を中心とした商材を売る
外食ビジネス」であるとします。
これを極端に抽象化すれば
「外食ビジネス」になるでしょう。

また、アルバイトを構成する要素は
「会社都合でシフト管理されながら
、与えられた仕事を遂行する存在」
であるとします。これも極端に
抽象化すれば「仕事」になります。

「マクドナルドでの
アルバイト経験」を
「外食ビジネスでの仕事経験」だと
考え、外食ビジネスの
あるべき姿を理解しようと、
書籍やネットで外食ビジネスに
ついて座学をこなしながら
日々を過ごせるかどうか。

自分がマクドナルドではない
レストランで食事をするときは、
マクドナルドとの違いを
意識しながら、なにか
学べるところはないかと
考えるクセがついているかどうか。

このように、
マクドナルドでのアルバイト
経験から、外食ビジネスについての
理解を深められる人材は、
マクドナルド以外の外食において、
アルバイトではない職を
得られる可能性が高いでしょう。

しかしそれを
「マックでバイトしているだけ」と
考える人材は、
その枠から飛び出ることは
できません。
もっとミクロな視点でも
、日々特定の問題を処理しながらも
、問題解決方法を抽象化して
考えられないと、
似たような失敗を繰り返す
ことになってしまいます。

「抽象化スキルは、
経験の再利用性を高める」
というわけです。

経験の素因数分解をして、
一見異なる多くの仕事のなかに、
最大公約数を見つけていくという
態度こそ、生死を分ける
重要なものになるはずです。
<引用終り>__________
抽象化して考えるのは
どこか、何かに例えて
思考する方法にも似ています。。。

ところで、、、以下の動画は、
何かを物語っているのでしょう?

では、また。


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