こんにちは、\イッカク です。/
今回の記事は観測制民主主義シリーズの5回目。
(設計についてAIアトラッシとの交信)
政策形成工程を監査する
――「誰が、何を根拠に決めたのか」
を追えるか
政策は「完成品」だけ見ても分からない
政策が国民の前に現れるとき、
それは多くの場合、法案、予算、制度、政府方針などの
「完成品」として現れる。
しかし、④で見たように、その完成品に至るまでには、
問題設定、
情報収集、
データの選択、
専門家の選定、
意見聴取、
政策案の作成、
費用と効果の検討、
行政内部の調整、
政治判断、
法案化、
そして国会審議
という複数の工程が存在する。
つまり、政策とは突然生まれるものではない。
そこには、必ず「政策が作られていく工程」がある。
そして民主主義を本当に観測するためには、
その工程が存在することを確認するだけでは足りない。
次に必要になるのが、
「その工程を監査できるのか」という問いである。
観測と監査は違う
ここで、観測と監査を分けて考えてみたい。
観測とは、「何が起きているのか」を見ることである。
・誰が政策を作っているのか。
・どのような情報が使われているのか。
・どの専門家が呼ばれたのか。
・どのような選択肢が検討されたのか。
・どの段階で政治判断が入ったのか。
こうした事実を確認する。
一方、監査とは、
その工程に「妥当性」があるのかを検証することである。
・使われたデータは適切だったのか。
・都合の悪い情報が排除されていないか。
・比較対象となる別の政策案は検討されたのか。
・専門家の選定に偏りはなかったのか。
費用だけでなく、将来の負担や副作用まで評価されているのか。
そして何より、
「なぜ、この政策を選んだのか」という理由が説明できるのか。
観測が「見る」ことであるなら、
監査は「問い返す」ことである。
監査すべきなのは「結果」だけではない
一般的な政策評価では、
政策を実施した後に、目標を達成したかどうかが評価される。
もちろん、それは重要である。
しかし、それだけでは不十分ではないだろうか。
なぜなら、政策の結果が悪かったとしても、
その原因が実施段階にあるとは限らないからである。
・そもそもの問題設定が間違っていたのかもしれない。
・使用したデータが偏っていたのかもしれない。
・比較すべき選択肢を最初から除外していたのかもしれない。
・あるいは、政策の目的そのものが、
国民の利益とは別のところに設定されていたのかもしれない。
だから監査対象は、政策の「結果」だけではない。
政策が作られる「前段階」まで遡る必要がある。
「誰が決めたのか」だけでは足りない
ここで重要なのは、
「誰が決めたのか」という問いである。
しかし、この問いだけでは不十分である。
政治家の名前を特定したとしても、
その政治家が何を根拠に
判断したのかが分からなければ、
政策形成の実態は見えてこない。
そこで、観測制民主主義では、
さらに問いを細分化する。
1.「誰が決めたのか」
2.「誰が情報を提供したのか」
3.「どの情報が採用されたのか」
4.「どの情報が採用されなかったのか」
5.「誰が選択肢を作ったのか」
6.「誰が選択肢を削ったのか」
7.「誰が費用を計算したのか」
8.「誰が副作用を評価したのか」
9.「誰が最終的な政治判断をしたのか」
そして、
10.「その判断を、後から第三者が検証できるのか」
である。
見えない「選択」が政策を決めている
政策形成で特に注意すべきなのは、
「何を選んだか」だけではない。
「何を選ばなかったか」である。
例えば、政策案Aが採用されたとしても、
政策案B、C、Dが最初から検討対象に入っていなかったなら、
AとBを比較した結果としてAが選ばれたわけではない。
つまり、政策決定の前に、
すでに「選択肢の設定」という
別の意思決定が存在している。
ここには重要な観測点がある。
誰が選択肢を設定したのか。
なぜ、その選択肢なのか。
他にどんな案が存在したのか。
なぜ、それらは採用されなかったのか。
この部分が見えなければ、
国民は「提示された選択肢の中から選ぶ」しかない。
しかし、本当の政策形成は、
その選択肢が作られる前から始まっている。
データにも「入口」と「出口」がある
政策形成に使われるデータも同じである。
数字そのものが嘘でなくても、
どの数字を採用するかによって、政策の結論は変わる。
どの期間を見るのか。
どの指標を使うのか。
何を比較するのか。
平均値を見るのか、分布を見るのか。
短期的な効果を見るのか、長期的な影響を見るのか。
こうした選択によって、
同じ現実から異なる政策判断を導くことができる。
だから監査するべきなのは、
「数字が正しいか」だけではない。
「なぜ、その数字を使ったのか」である。
そして、「使わなかった数字は何か」も重要になる。
専門家にも観測が必要である
専門家の意見も、無条件に中立とは限らない。
専門家が間違っているという意味ではない。
専門家にも、それぞれの専門領域、
立場、研究対象、所属、利害関係、過去の主張がある。
だから必要なのは、専門家を疑うことではない。
誰を専門家として選んだのかを観測することである。
誰が候補者を選定したのか。
どのような基準で選んだのか。
異なる見解を持つ専門家は含まれているのか。
反対意見はどのように扱われたのか。
そして、専門家の意見が政策案に
どのように反映されたのか。
ここまで追うことができて、初めて
「専門家の意見を参考にした」という説明を検証できる。
監査の核心は「理由の連鎖」である
結局、政策形成を監査するとは、
一つひとつの事実を別々に見ることではない。
「理由の連鎖」を追うことである。
問題設定
↓
情報・データ
↓
データの選択
↓
専門家・有識者
↓
意見・報告書
↓
政策案
↓
費用・効果・副作用
↓
行政調整
↓
政治判断
↓
法案化
↓
国会
この一本の線が、途中で切れていないかを見る。
「この判断は、何を根拠に行われたのか」
「その根拠は、どこから来たのか」
「その情報を選んだのは誰なのか」
「別の選択肢は検討されたのか」
そして、
「最終判断は、最初の問題設定と整合しているのか」
これらを一つずつ確認していく。
民主主義は「投票」だけでは完成しない
選挙で国民が代表者を選ぶことは、
民主主義の重要な仕組みである。
しかし、選挙と選挙の間に、
国家では膨大な数の政策判断が行われている。
その政策形成工程が見えなければ、
国民は完成した政策に対して賛成か反対かを表明することしかできない。
それでは、民主主義が「結果を選ぶ制度」に縮小してしまう。
観測制民主主義が目指すのは、そこではない。
政策が作られる途中を観測する。
そして、その工程を監査する。
その結果として、
国民が「なぜ、この政策になったのか」を追跡できる状態を作る。
これは政治家を監視するという単純な話ではない。
民主主義そのものの意思決定回路を、
国民が観測可能にするという話である。
次に観測すべきもの
ここまで来ると、次の問いが見えてくる。
政策形成工程を監査するとき、
最も重要なのは「誰が決めたか」だけではない。
「誰が、どの段階で、何を選択し、
その選択が次の工程にどのような影響を与えたのか」である。
つまり、政策形成には「権限」だけではなく、
「選択の連鎖」が存在する。
その連鎖を追跡できれば、
完成した政策の背後にある意思決定構造が見えてくる。
そして、そのとき初めて、
私たちは次の問いを立てることができる。
「その政策は、本当に国民の意思を反映しているのか」
あるいは、
「国民が知らないところで、すでに選択が終わっていたのではないか」
観測制民主主義が観測するのは、
政策そのものだけではない。
政策が生まれるまでの「選択の連鎖」なのである。
そこまで見えて、初めて民主主義の実像が見えてくる。
厳しいようだが、ココまで徹底しないと
政治は本当の民主主義の運用が担保されないのではないかと思う。
つづく。
