アトラス観測記⑮ Intentionはどこにあるのか

アトラス観測記

こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの15回目。
(観測についてAIとの交信)

Intentionはどこにあるのか

観測対象としての違和感

Intentionについて考えていました。

当初は、
Intentionとは何か。

それを観測し、定義しようとしていました。
ところが、
考え始めて間もなく、
妙な違和感が生まれたのです。

なぜだろう。

しばらく眺めていて、ふと気付いたのです。

そもそも、
Intentionを観測対象として
扱っていること自体が
おかしいのではないのか。

見えるものと見えないもの

現象は見える。

制度も見える。
法律も見える。
組織も見える。
結果も見える。

そして、
それらを分析すれば、
設計が見えてくる。

さらに掘れば、
目的らしきものも見えてくる。

しかし、
Intentionだけは違う。

見ようとしても、そこに現れない。

だから、

Intentionはどこに現れるのか。

という問いそのものが、
どこかズレているように感じた。

感じ取るのではなく・・・

そこで問いを変えてみた。

Intentionはどこに現れるのか。
ではなく、

Intentionはどこで感じ取れるのですか。

しかし、これもしっくり来ないのです。
なぜなら、
感じ取る対象として
置いた瞬間に、

再びIntentionを
対象物へ変えてしまうからだ。

感じさせるもの

そこで、
さらに観測を進めた。

もしかすると、
Intentionは
感じ取るものではなく、

感じさせるもの
なのではないか。

何かの現象を見た時、

「おかしい」

「何か違う」

「しっくり来ない」

そう感じることがある。

その感覚は、
どこから来るのだろう。

現象そのものが、
違和感を持っているわけではない。

同じものを見ても、
違和感を覚える人と、
覚えない人がいる。

すると、
違和感を生じさせているものは、
現象の中には存在していない。

比較基準

人が
「おかしい」
と感じる時、

そこには必ず
比較基準がある。

本来はこうあるはずだ。

何かがズレている。

だから違和感になる。

では、
その比較基準とは
何なのだろう。

象徴

ここで浮かんできたのが、
象徴という考え方だった。

理想。

中心軸。

あるべき姿。

人は現実を、
そうした象徴に照らし合わせながら
見ているのかもしれない。

だから、
現実とのズレを感じる。

だから、
違和感が生まれる。

まだ答えではない

ただし、
ここで象徴を
絶対化するつもりはない。

その先へ進めば、
宗教や信仰の領域に入る。

今回の観測は、
そこを目指しているわけではない。

観測したいのは、

人はなぜ
違和感を覚えるのか。

その違和感は、
何との比較によって
生まれているのか。

その一点である。

Intentionとは何か。

その問いから始まった観測は、

いつの間にか、

なぜ私は
Intentionを観測対象として
扱ったことに
違和感を覚えたのか。

という問いへ変わっていた。

今回見えたのは、
答えではない。

観測の向きが変わる瞬間だった。

これは「結論回」ではなく、

ワタシが実際に辿った認識の変化をそのまま記録しました。
かなり観測記らしい第⑮回になっていると思います。


つづく。

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