海潮音(上田敏)に掲載 されている「山のあなた」を ご存知ですか?

日記


こんにちは、\イッカク/です。
今回は、カールブッセの
「山のあなた」から
三次元領域での一番の毒
それは、「青い鳥」のたとえです。
「青い鳥」は、内側の心のなかに
あって、自立することでした。
実は、、、
海潮音(上田敏)に掲載
されている「山のあなた」を
ご存知ですか?

やまのあなたの
そらとほく
さいはひすむと
ひとのいふ
ああわれひとと
とめゆきて
なみださしぐみ
かへりきぬ
やまのあなたに
なほとほく
さいはひすむと
ひとのいふ

漢字を入れてみます。

山のあなたの空遠く
幸住むと人のいう。
ああ、われひとと
尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになお遠く
幸住むと人のいう。

詩の冒頭に
「山のあなた」とあります。
これ、どういう意味なのか?

普通だったら、
「山の彼方」という言い回しに
なる感じですよねぇ。

ところが、山の「あなた」と
している。

真実が隠されています。

メタファーです。
(隠喩)

これは、・・・この詩を
読んでいる、まさに
「あなた」のことを指して
いるのです。

そうです。

今、まさに、この詩を
見たり、読んだりしている
観測者である、「あなた」
のことを指していると
考えます。

山の彼方に引っ掛けた
「山のあなた」とは?

あなたが描いている
夢に向かって、登って
越えてゆくべき「山」
な訳です。

この山とは、自己重要性で
イメージした、
大きいかもしれない
エゴの産物に過ぎないのです。
つまり、
他人との関わりを求めて
人間のぬくもりを
求めている訳でもない

エゴが、勝手に描いた
『課題』
となっている。

山=課題
ですね。

さて、そのような見方で、
詩に戻ってみましょう。

「山のあなたの空遠く」の表現
の意味は
「未だ出会っていない将来の
遠くにいる、あなた」のことを
意味することになります。
そして、
「他人が山の向こうに
幸せがあると言っていた
ので山の向こうに行ってみた
けど、、そのような
幸せなどはなく、
私は涙を流しながら帰ってきた。
そうすると人々は、
山のもっとずっとずっと
向こうに幸せはあるんだよ、
というのです。」

私が云いたいのは、、、
これは、何も知らない
ほとんどの人たちが
陥りやすい、
「幸せになれない」
ロジックへの誘いに
注意しなさい!
という、構図を詩に
盛り込んでいる
ということです。

課題をつくり
その課題を乗り越えて、
繰り返すうちに幸せが
きっとつかめるから・・・
ハッキリ言って「嘘」。

エゴである自己中心的
欲望の
描く「クリアすべき山」
の課題が、
同じような山の他人と
出会った時、
何が起きているか?

比較し始まります。

そして、課題の同一は
競争を生みます。
そして、
上下になって、対立。
結果は見えています。

そして、最後に互いに
言語でルールをつくり
言語束縛して、序列に
並んでいくように
「統一化」される
仕組みに、
ハマっていくんです。

よーく見てください、
世の中の
人たち。

学校、会社、サークル、
習い事、、、
「権力階層」で
マネーが絡んで、うまく
支配されていませんか?

人を見ていないんです。
だから、ぬくもりが無い。

見ているのは、「利得」の
二文字。

実はこの詩の
意味するところは、
「山」をどのように
捉えて、意味づけするかでも
変わってきます。

つまり、その山は、

3次元(時間軸を加えると
4次元)という山
だったりします。

この3次元を越えて
行く「意識」が
人間にとっての進化
だったことに気づくのです。

別の時空で、
観測者である自分が
「確信した」と感じることが
できてはじめて、仕合わせ!
とカール・ブッセは
言っているのかも
しれません。

原語の直訳で見てみます。。。
Über den Bergen
山を越えて

Karl Busse
カールブッセ

Über den Bergen weit zu wandern
山を越えてさまようために
Sagen die Leute, wohnt das Glück.
人々は言う、
幸せは生きています。

Ach, und ich ging im Schwarme der andern,
ああ、そして私は他の人たちの
群れに行った、

kam mit verweinten Augen zurück.
涙染めの目で戻ってきた。

Über den Bergen weti weti drüben,
山の向こうには向こうに向こうに

Sagen die Leute, wohnt das Glück.
人々は言う、
幸せは生きています。

上記の
>ich ging im Schwarme der andern,
の訳は

「私は他人の群れに
行きました、」
とハッキリ云ってます。

幸せを求めて、ある仲間に
入っていったのでしょうか、

・習い事
・学校
・会社

・etc.

・・・でも、自分の
探していた幸せは、
結局、見つからなかった
のです。

そこにあったのは、
金銭が裏で絡んだ
欲得損得の世界であり、
「権力階層」である
ことは、想像できます。

だから、
カール・ブッセは、それを
気づいていて、

到底、幸せなんか
見つかりっこないんだよ。
それでも、多くの人は
幸せが、どこかにある
(生きてる)と、
思い込んでる。
あるのは、生きてる
今が、仕合わせなんだ。
と、、、、
メーテルリンクの『青い鳥』に
つながるような感じです。

つまり、幸せという
「青い鳥」を求めて、
幼いチルチルとミチルは
旅をしますが、
過去の国、
未来の国、
夜の国など、いろんな時空を
さんざん遠く旅して、
青い鳥を見つけたのは
灯台下暗しの
自分の家だったというオチ。

しかし、どう考えても

リアルなのは、「今」
今、しかないのですよね。

だって、何もカニも
今更、過去には、
戻れないんです。
後悔先に立たず。

かと言って、未来への夢は
単なる夢で、
その夢を実現するには
その夢に向かって
進む、現在の一瞬一瞬の
積み重なりが必要です。

ただし、
その夢の質が問題です。

質の悪い夢は
邪(よこしま)な
負のエネルギーを
持っています。

要するに、自分の
「山」をどのように
捉えて、
意味づけするかです。

「利得」の二文字なのか、
「人徳」を積むのか

二者択一です。

利得=拝金=カネに支配される
山=課題を同一化する人
ぬくもりがない=人体蔑視

人徳=奉仕=カネを支配する
同一化する山(課題)を
切断できるひと

つまり、同一化しない
創造と表現を山とし
ぬくもりのある人体重視。

人徳のある夢を
描きたいひとは、
カネ(物質)を、
その夢を実現するため使う。

だから、
たとえば、
権力階層化しない
温もりのある世の中を
つくりたいのであれば、
心の内側の暖かさに気づき
それに従った生き方を
すれば、やがて、現実化
するものと確信します。

それが、約1万6千年前の
縄文時代の人々が
作り上げていた
文明だったと感じるのです。

では、また。

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