地獄のような環境に置かれたときこそ、「人間の崇高な力」を発揮する…タマシイの試験かも。

書籍紹介


こんにちは、\イッカクです/

現在は、まだ・まだ、地獄の入り口に
差し掛かっていることを
わからない、知らない
知ろうともしない
方々が、多いです。

はっきり言って、例の
殺人ワクチンを打たれた方!
2030年位までには、肉体の
服を脱がされることになります。

だからって、恐れることはなく
崇高な意識=タマシイ は
転生を続けます。

ただし、記憶は概ね
消えていることでしょう。

でも、その意識(タマシイ)は
経験を積んで
生き続けることでしょう。

なんのために生まれてくるのか?
というのも
その答えになっているからです。

タマシイは、終わりない旅で
学び続けるのです。
この広い宇宙と同じく
限界はありません。

さて、今回の本題です。
今回は、「生きる意味.net」様より
https://ikiru-imi.net/?p=1217
以下置きます。

<引用開始>_______________


この本は、第二次世界大戦時のドイツの、
アウシュビッツ収容所での
人々の生き方を描いたものです。

このアウシュビッツ収容所では、
罪のない囚人達が十分な食事も与えられずに、
常に過酷な飢餓状態に陥っていたそうです。

そんないつ飢えで死ぬかわからない状況では、
「食料」はそれこそ命そのもので、
何を犠牲にしてでも
得なくてはいけないものでしょう。

その極限状態の中で、
死にかけて衰弱した仲間の
パンを奪い取る人もいたそうです。
それは生き残るためには
仕方のないことだったのかもしれません。

ですが、その一方で、
自分自身も飢餓で弱り切っているのに
もかかわらず、
なんと弱った仲間に
自分のパンを渡し、
励まし続けた人がいたというのです。

もし、自分の心や体の生存本能に
従うのであれば、
意地でもパンを守り抜くことでしょう。
それを独占して、
一人で食べるのもまた正解なのです。

ですが、
その非常に強い心の要請を超えて、
自分が生き残ることよりも、
仲間に希望を取り戻してもらいたい
という純粋な愛を選び取ることも、
人間には可能だったのです。

フランクルは、
この体験に感動し、
人間はどんな過酷な状況においても、
いかに生きるか
という自由を奪いえないということ、
そして、愛ある行動こそが
人に生きる希望、
生きがいを与えるのだと確信したそうです。
<引用終り>_______________
■編集後記
通常の人間や通常の生ぬるい常態化
された環境では、とうてい発揮されない、
この崇高な精神力。
しかし、日本人は、あの3.11のとき
物資が無くなっても
お店に火事場ドロボーに入った訳でもなく
ちゃんと並んで物を買っていた。
考えようによっては、日本人は
社会主義で管理された家畜に
見えるけど、
お行儀の良さでは、セカイイチ。
(これ、皮肉ですから)
いずれにしても、欲望を抑えるか、
それとも、欲望のままに
行動するかという、次元を
俯瞰して、超えていくのが
タマシイの力なのだと考えます。

今に、置き換えれば、
毒ワクチンを打ったことに
気づかずに肉体を去っていく人には
愛を送って見送りましょう。
その人は、体を去る瞬間に
すべて分かることに
なるでしょう。
それで、学んだのです。

では、また。


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