【EriQmapJapan’s NewsLetterさまより】10. クリフ・ハイ:「独立戦争当時、アメリカの人口の54%がドイツ人でした…アメリカ軍は、プロイセン軍をモデルに活動をしています」

EriAndQmapJapan

こんにちは、\イッカクです/

今回も引き続き、Eriさんの
「EriQmapJapan’s NewsLetter」より
クリフ・ハイ氏の話になります。

「2022/1/11 コンスピラシー・アナリティカ」
ホスト:ジョーダン・セイザー、
ゲスト:クリフ・ハイ

より

ということで、今回は、13回目です。
ソース:https://eriqmapjapan.substack.com/p/10-54?s=r
【】内は和多氏のコメントなど・・・
<引用開始>_______________

クリフ:

でも、ボブ・ラザーは例外です。

彼は、わたしが説明していたようなことを、
彼自身の言葉で説明しているんですよ。

彼は重力増幅器やその他もろもろに
ついて話していますが、実のところ

…わたしたちは常に、”重力”などと
いったことを話しているのではなく、

“磁氣”の話をしているのです。

実際に何が起こっているのか、

その価値観や考え方を理解する
“磁氣学”という手がかりがなかったために、
それを違うものとして見ていたのです。
もし “磁氣学”の視点から見ていたら、
もっと内容は進んだものに
なっていたかもしれません。

わたしの “ぐらつき (Wooble)”に
対する考え方に感銘を受けた
軍の請負業者と
連絡を取ってみてわかったのですが、
彼らは、

A: この考えと理解に感銘を受けた

B: UFOにはこの考えが 使われている可能性が高い

C: 海軍がTR3Bとは全く関係のない バージョンのUFOに 取り組んでいることを知っている

…と言っていました。

ジョーダン:
なるほど。

クリフ:夜、この海岸で暗視ゴーグルを使えば、 それらを見ることができます。

ジョーダン:
TR3Bは空軍製という説もありますよね。
海軍は別の機体を作っているようですし
…もしかしたら、
あなたがここで説明したような
別のメカニズムを用いていて、
さらに進化しているかもしれません。

クリフ:
論理的に考えるとそうなりますね…
..なぜならアメリカ軍は、
プロイセン軍をモデルに活動をしているからです。
そう…独立戦争当時、
アメリカに住む人の50%以上が
ドイツ出身者でした
…アメリカの人口の54%がドイツ人で、
英国人ではなかったのです。
なので、あらゆる階層的なものが、
ドイツから米国内に持ち込まれました。

ジョーダン:
1940年代~50年代の
“ペーパークリップ作戦”なんかもそうですね。

クリフ:
そうです。
しかしそれ以前にも、
プロイセン陸軍式の
階層構造を組織に植え付けていました。

ジョーダン:なるほど。

クリフ:
なので、すべてが完全に区分されています。
第二次世界大戦でドイツ軍と戦ったとき、
我々は、ドイツ海軍の軍産複合体や、
空軍や陸軍のウー・フラッパーなどの
軍産複合体と戦っていたのです。
これらの組織は完全に別物で、
それぞれが独自の軍産複合体を持っていました
…つまり、一度に4~5カ国と
戦っているようなものです。
今の構造もそうなっていて、
海軍は空軍の秘密を
黙認しているのではないでしょうか。

ジョーダン:
ここ数年、わたしもそう思っていました。
つまり、わたしたちは基本的に、
自国の軍隊の中にある小さな徒党や
小さなグループを相手にしている
…ということでしょうか?
  自分たちの小さな意図と支配のために
戦っている…
..それが利己的な意図なのか、
そうでないのかは、
グループによって違うのでしょうが…。

クリフ:そういうことです。

<引用終り>_______________
■編集後記
アメリカの軍産複合体は
海軍と陸軍、そしてトランプが作った宇宙軍など
ばかりではなく、更に
自分たちの利権のために画策しているものや
国益のために活躍しているグループとか
一枚岩では無いということですね。
しかも、現在まで、他グループへの関与や
グループ間闘争など、
されていないような感じに見えますね。
ところで、昨今、「明治維新」によって
日本が本来からある良いものが失われた
モノがある一方で、新たに
得られたモノがある。
それは、富国強兵のエッセンスであろう。
それは、どこからきたのか、調べてみたら
なんと、プロイセンの宰相ビスマルクの
思想であった。
「ビスマルク…明治日本の国造りに影響」という
「嶋村初吉さまのブログ」から
記事が検索できたので、以下引用。
<引用開始>_______________
・・・ 
(前略)

 岩倉使節団がいかに動き、何を視察したか、
現地で接触した人たちの顔ぶれは。
といった詳細を知ることができる本が残っている。
『特命全権大使 米欧回覧実記』である。
全100巻(5編5冊)である。
随行した久米邦武(太政官少書記官)が
編修している。これが、
岩波文庫全5冊になっており、手軽に読める。

 全100巻のうち、
どうしても当時の大国アメリカ、
イギリスの分量が多く、全体の4割を占める。
近代国家建設は大国を範とすべし、
という観点が強いのが分かるが、
使節団が親近感をもったのは
実はドイツ・プロイセンであった。

 ドイツの中でも、東方の後進国であった
プロイセンで、勃興の立役者
ビスマルク(ヴィルヘルム1世の宰相)が説く
弱肉強食の国際関係論に
つよい印象を持つ。
小国プロイセンは、強国フランスを
普仏戦争で破り、
ドイツ統一の牽引となった実績を持つ。

 ビスマルクと使節団のやりとりは、
上垣外憲一著『暗殺・伊藤博文』
(ちくま新書)に核心部分が
紹介されているので、引用してみたい。

「日本の使節団を迎えたビスマルクは
欧州の強国が口には正義を唱えながら、
その実小国の権利を
ないがしろにしているといい、
自分は小国に生まれて
その間の実状を身を」もって
体験してきたので、
日本の人々の気持ちはよくわかる
と語って、使節団の人々を
魅(ひ)きつけたのである」

 この出会いから日本は、
ビスマルクを意識する。
それを裏付けるように、
伊藤博文が主導して
まとめた明治憲法は
プロイセン憲法を下敷きにしている。
長州閥が牛耳っていた
陸軍の兵式も
フランス式から
プロイセン式に変更された。

  明治日本は、
岩倉使節団を通して、
ドイツに傾斜した国造りを進めることになる。
ここにはビスマルクの論法が基本思想となっている。

 「国際公法は実際には無力であり、
対外戦争だけが自国の主張を
世界に認めさせる手段である」(同書より)
<引用終り>_______________
なるほど、明治維新以降の富国強兵に
向かって行くべき真髄が
ビスマルクの国造り論法にあった!
道理で、日本が独自で編み出した「兵式」
では、なかったのですね。。。
ただ、時代には時代ごとの潮流が有って
日本が武力で以て、世界に轟かせたのも
太平洋戦争で、終焉。
結局、日本は、ビスマルクから何を
学んだのであろうか?
戦うための道具立て、軍隊の作り方、
勝ち方、、、それだけだったのか?
今となっては、遠い昔の出来事で、
日本人の私達には、何もその成果は
活かされてないように思われる。
プロイセンは、
現在は無くなってしまったけど、
その当時は、日本とよく似た、境遇の国だった
というのが大きな観点です。
その当時、ドイツ連邦は江戸幕府が終わり
小諸侯が乱立する地域事情と酷似していた。
これをプロイセン王国が核となって統一され、
強力な近代国家として躍進中だった。
ビスマルク宰相が実権を握って、
対オーストリア、対フランスの戦争に勝利し、
ドイツ諸侯国を統一してヨーロッパ随一の
「ドイツ帝国」を建設した。
このことは、幕府を倒して近代化に向かって
進んでいる日本と同じ境遇であり、、
各藩の統一と中央政府(明治新政府)を樹立
したばかりの日本にとって、プロイセンが
一番の手本であるということだったのでしょう。
この成果は、ビスマルクの思想として
彼の「地政学」が根底にあったのだと思われます。
それは、領土の拡張主義・膨張主義に陥らず
「近隣諸国と支配されずに対等に同盟を持つ」
ということが外交の要。
これが、国家存続の重要な地政学的見地かも。

■【ゆっくり解説】オットー・フォン・ビスマルク

では、また。


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