こんにちは、\イッカク です。/
今回は「今の文明はどこへ向かうのか」シリーズの3回目。
第3回:近代という加速装置
― 合理主義・国家・市場 ―
文明を「接続構造」として読むとき、
近代は特異な時代として立ち上がる。
それは、接続を爆発的に増幅させた時代である。
縄文が「暴走しない文明」だったとすれば、
近代は「接続を指数関数的に増幅する文明」であった。
問題は、その加速そのものではない。
問題は、その加速に方向を与える基準である。
1. 合理主義 ― Informationの解放
17世紀、デカルト以降の合理主義は、
世界を「計算可能な対象」として再定義した。
自然は神秘ではなく、測定と操作の対象となった。
ここでInformationは爆発的に解放される。
数学、物理学、工学。
科学革命は接続密度を一気に高めた。
この転換がなければ、
医療の進歩も、交通網も、デジタル文明も存在しなかった。
合理主義は、人類に強力な増幅器を与えたのである。
2. 国家 ― 接続の集中化
近代国家は、暴力を独占し、法を統一し、
広大な領域を一つの制度のもとに束ねた。
それは接続の「集中化」であった。
税、軍事、行政、教育。
人と人は、中央の制度を通じて結ばれる。
これにより秩序は安定し、
大規模な協力が可能になった。
しかし同時に、
接続は局所的な共鳴から、中央制御へと移行した。
接続が大きくなるほど、
その方向性は強い影響力を持つ。
3. 市場 ― 欲望の無限接続
市場は、欲望を接続する装置である。
価格という共通言語によって、
見知らぬ他者同士が瞬時に結びつく。
それは創造性を刺激し、
生産力を飛躍的に高めた。
一方で、市場はImaginationを無限に拡張する。
「もっと」「さらに」「新しく」。
欲望の回路は止まらない。
4. 加速は善でも悪でもない
合理主義・国家・市場。
この三つは、近代の三大エンジンである。
いずれも接続を拡大し、密度を高めた。
その結果、
医療は進歩し、識字率は上がり、
個人の尊厳という概念は制度化された。
表現の自由は広がり、多様な価値観が共存する土壌も生まれた。
しかし同じ加速は、
世界大戦や環境破壊も生み出した。
加速は善でも悪でもない。
それは増幅器である。
方向を決めるのは、
接続の基準である。
5. 過加速の時代
現代は、近代の加速装置が臨界点に達した段階にある。
例えば、SNSの接続は国家よりも速く拡散し、
市場よりも直接的に欲望と不安を刺激する。
Informationは過積載となり、
Imaginationは常時刺激され続ける。
だがIntention――
根源的な方向性との接続は、弱まっている。
Intentionとは宗教教義ではない。
生の意味づけ、存在の方向性に関わる最深層の動機である。
この接続が希薄化するとき、
加速は分断へと転じる。
6. 問題は減速ではない
だからといって、
近代を否定し、原始へ戻ることが解答ではない。
問題は速度ではない。
接続の方向である。
減速ではなく、再接続。
InformationとImaginationを、
どのIntentionに接続させるのか。
文明の未来は、
技術の進歩速度ではなく、
私たちが何と接続しているかによって決まる。
次回、第4回では、
「成長思想の限界」を扱う。
量的拡大は成熟なのか。
それとも、接続の歪みなのか。
文明の加速がもたらした
“成長という前提”を、構造から読み解いていく。
さて、近代の加速をさらに推し進める思想もある。
技術と資本の加速を極限まで進め、
その先に突破口を見出そうとする立場である。
だが本稿は、加速の極限ではなく、
接続の基準そのものを問い直す。
問題は速さではない。
何と結ばれているかである。
