こんにちは、\イッカク です。/
今回は「今の文明はどこへ向かうのか」シリーズの4回目。
第4回:成長思想の限界
― 力の拡大は、責任の成熟を伴ってこそ意味を持つ ―
Ⅰ.飽和する社会と「成長」という前提
● すでに満ちている世界
現在の社会は、さまざまな分野で飽和点に達しているように見える。
市場は成熟し、情報は溢れ、都市は過密になり、環境は限界を訴えている。
そのような状況の中で、
「成長戦略」は本当に価値ある選択なのだろうか、と疑問を抱くことがある。
● 疑われなくなった前提
私たちはいつから、
「成長することは良いことだ」と疑わなくなったのだろうか。
ニュースでは経済成長率が語られ、
企業は拡大を目指し、
個人もまた「もっと上へ」「もっと豊かに」と努力する。
成長が止まることは、どこか危機のように感じられる。
Ⅱ.成長と成熟は同じではない
● 拡大が合理的だった時代
だが、大きくなることと、成熟することは、本当に同じだろうか。
近代という時代は、確かに人類を前進させた。
科学技術は発展し、医療は進歩し、
多くの人々が貧困から抜け出した。
物質的な不足を克服する段階において、拡大は合理的だった。
力を持つことは、生き延びるために必要だった。
● いま私たちが持っている力
しかし、文明はいま、かつてないほどの力を手にしている。
核エネルギーを扱い、地球規模で情報を拡散し、人工知能を生み出し、金融を瞬時に動かす。
私たちは巨大な「マシーン」を操る立場に立っている。
Ⅲ.力を持つとはどういうことか
● 強力な機械の前に立つとき
もし目の前に、強い殺傷能力を持つ最新式の機械があるとしたら、
何が最も重要だろうか。
速さだろうか。出力だろうか。
そうではないはずだ。
まず必要なのは、「何のために使うのか」という目的の理解である。
次に必要なのは、「どうすれば安全を保てるか」という自制心である。
そして最後に、それを扱うことで生じる結果に対して、
重い責任を引き受ける覚悟である。
● 文明もまた同じ段階にある
文明もまた、同じ段階に来ている。
私たちは力を拡大してきた。
だが、その力に見合う責任の成熟は、どこまで進んでいるだろうか。
Ⅳ.外へ向かう運動、内を整える運動
● 成長とは何か
成長とは、外へ向かう運動である。
より大きく、より多く、より速く。
● 成熟とは何か
一方で、成熟とは、内を整える運動である。
力を持ちながら、それを制御できること。
影響を及ぼしながら、その影響を引き受けること。
子どもは成長によって大きくなる。
しかし大人になるとは、単に体が大きくなることではない。
自分の欲望を扱えるようになり、
他者を思いやり、結果を引き受けられるようになることだ。
文明もまた同じではないだろうか。
Ⅴ.力と責任の釣り合い
量的拡大は、確かに一つの段階として必要だった。
しかし、それだけでは十分ではない。
力の拡大は、責任の成熟を伴ってこそ意味を持つ。
もし力だけが増え、責任が伴わなければ、不安は拡大する。
便利さが増しても、安心は生まれない。
豊かさが増えても、仕合せの実感は深まらない。
仕合せとは、単に不足を埋めることではない。
自分が全体の中で意味を持って関わっているという実感である。
責任を引き受けるとは、孤立することではない。
むしろ、自分が世界とつながっていることを自覚することである。
Ⅵ.次の段階へ
いま私たちの価値観が揺らいでいるのは、
力と責任の釣り合いが崩れているからかもしれない。
成長は続いている。
しかし安心は増えていない。
それは、拡大という運動が、成熟という段階へ
移行しきれていないからではないだろうか。
文明が次の段階へ進むとすれば、それは成長を否定することではない。
成長を引き受けたうえで、その力に見合う責任を自覚することだ。
では、なぜ私たちは、
力を拡大しながらも、その責任を分かち合うことが難しいのだろうか。
なぜ、支え合うよりも、競い合う方向へ傾いてしまうのだろうか。
次回は、その背景にある「分断」の構造を考えてみたい。
