第8章:聲なき聲を聴く
森の奥、滝の流れ落ちる岩場に、サトコは静かに座していた。
滝壺から立ちのぼる水の氣が、肌を撫でる。冷たさよりも、むしろ温もりを感じた。そこには、目には見えぬ何かが、確かにあった。
「わたしは、なぜここにいるのか。」
ふと湧き上がる問いに、答える聲はない。しかし、滝の響きと蝉の鳴き交わす音が、まるでその沈黙の代弁者のようだった。
サトコは、目を閉じた。
遠くから誰かが呼ぶような氣がした。けれど、それは音ではなかった。空間に染み込むような「振動」、あるいは「周波数」だった。
胸の奥が、微かに共鳴した。
それは「聲なき聲」だった。
宮城先生が言っていた。「人間の本質は、耳で聴くのではない。魂で受け取るんだ。」その言葉が、いま体感となって蘇る。
サトコは、その振動に身を委ねた。身体の輪郭が薄れていき、まるで水の中に溶けていくようだった。
「おかえり。」
誰かが、そう言った。
それは誰でもなく、すべてだった。森、滝、水、空気、太陽、そして、自分自身――。
サトコの意識は、境界を超えた。
自と他、自己と世界。そうした二項の区別が溶けていく。
「わたしは水滴。そして、すべては海へ。」
その確信が、彼女の内側で光となり、波紋となって広がっていった。
やがて、目を開いたとき、サトコは泣いていた。涙という水が、顔を伝って流れ落ちた。
その涙は悲しみではなく、帰還の喜びだった。
魂が、源と繋がったという感覚。
人はみな、元々そこにいたのだ。
だが、そのことを忘れてしまっていただけだった。
そのことを、サトコはようやく思い出した。
つづく。
第9章