第6章:氣を動かす
サトコは、宮城先生の紹介で、町外れの小さな道場を訪れた。
そこは古びた木造の建物で、外観は控えめながら、
敷居をまたぐと空氣が変わった。
静けさの中に、ぴんと張った緊張感と、どこか懐かしい温もりがあった。
「ここが、先生の修業していた道場……」
誰もいない道場の中央に立ち、サトコは深く呼吸をした。
空氣が澄んでいて、思考が静まり、胸の奥にまで酸素が届く感じがした。
壁には「氣は我にあり」という墨書が掛かっていた。
ただの言葉ではなく、そこにこもった“何か”が、サトコの内側に響いてきた。
「氣は、意志とつながっている。
まずは、ただ感じることから始めよう」
先生の言葉を思い出しながら、サトコは正座し、目を閉じた。
外の音、内なる聲、思念や感情
――それらをただ感じ、否定も判断もせずに受けとめる。
すると、胸の奥で、何かがわずかに動いた。
小さな光の粒のような“氣”が、自分の中心から湧き上がってくるのを感じた。
それは熱でも冷たさでもなく、
言葉では説明しがたい微細な振動だった。
「これが……氣?」
その瞬間、床の木の節に触れた指先に、
ほんのわずかな“跳ね返り”のような感覚が走った。
空氣が揺れたようにも思えた。
驚いて目を開けたが、何も変わっていない。
けれど、自分の内側が、確かに変わったことだけは分かった。
氣は在る。
自分の内に、そしてこの空間に、確かに“生きて”存在している。
その日から、サトコは毎日のように道場に通った。
呼吸を整え、身体を静かに動かし、氣の流れを感じる稽古を重ねた。
道場に響く木のきしみや風の音が、彼女の感覚を磨いていく。
ある日、ふとした瞬間、サトコの掌から柔らかな氣が流れ出た。
それは自分の意志によるものではなく、
ただ“そうなった”という自然な出来事だった。
「やっとわかった……氣はコントロールするものじゃない。
氣は、つながるもの、共鳴するものなんだ」
その理解とともに、サトコの中で静かな感動が広がった。
それは、何かを“征服した”という感覚ではなく、
ようやく“思い出した”ような懐かしさ。
氣を動かすとは、すなわち世界と調和することだった。
分離ではなく、統合。
争いではなく、共鳴。
そのとき、サトコの背後に風が流れ、道場の障子がふわりと揺れた。
「サトコ」
宮城先生の聲がした。
「氣を動かせるようになったな。
だがそれは、まだ始まりにすぎない。
本当の氣の道は、“受けとる力”にこそある」
サトコは深く頷いた。
「私、もっと聞きたい。氣の声を……世界の声を」
そして、彼女の旅はさらに深くへと進んでいく。
つづく。