第3章:水面に映るわたし
滝の下の岩場に、サトコは座っていた。
衣服は水しぶきに濡れていたが、気にしていなかった。
ただ、体全体が透き通るような涼やかさに包まれていて、心が凪いでいた。
彼女はゆっくりと呼吸を整えながら、
滝壺の水面に映る自分を見つめた。
「わたしって、誰なんだろう。」
ぽつりと呟いた言葉は、水音にかき消された。
だが、その問いは確かに彼女の中に残り、静かに響き続けていた。
先生がかつて言っていた言葉が、ふとよみがえった。
「人は、目に見えないものでできている。
思い、氣、波動。そういうものが“人”なんだよ。」
あのときは分かったような、分からなかったような、曖昧な理解だった。
けれど今は違った。
水音と蝉時雨が重なり、
心の内側に透明な空間ができるような感覚の中で、
サトコの感覚は、ゆっくりと広がっていった。
この世の現実は、すべて波のようなものではないか。
それは思念であれ、音であれ、言葉であれ、すべてが周波数を持つ。
もし、わたしの存在が波であるならば、
この水面に映る姿もまた、一つの「現れ」に過ぎないのかもしれない。
では本当の“わたし”は、どこにいるのだろう。
その問いに、風が答えた。
梢を揺らし、水面をかすかに波立たせる風が、確かに彼女の肌を撫でた。
「ここに、いる。」
そんな風の囁きに、サトコは目を閉じた。
目を閉じると、あらゆる音がクリアになっていった。
川のせせらぎ、滝のリズム、遠くの鳥の声、蝉の連なり。
すべてが一つの楽章のように溶け合い、
まるで世界全体が彼女の内側で共鳴しているかのようだった。
「調和……。」
その言葉が浮かび上がった瞬間、心の中にやわらかな光が灯った。
争いも、優劣も、境界も、本来は幻影に過ぎないのかもしれない。
すべてがひとつで、つながっている。
そう感じたとき、サトコの目からひとしずくの涙がこぼれた。
それは悲しみの涙ではなかった。
ようやく「真実」に触れた、魂の震えだった。
つづく。
第4章