■観自在修行僧

おはようございます。

かわいい
「自作ほりもの」の楽しみを
世に広めたい
(自称キュート・セルフメイド・カー
ビング アドバイザー) の

イッカクです。

まだまだ、残暑が続くと思います。
ご自愛くださいませ。

さて、今回も

シゲジイの作品の一部を紹介したいと
思いますが

その前に

茶の間に、春の頃に
水差しに入れて写真を撮りました。

そのときに
日の暖かな春を思い
早くこないかなぁー
平安な日々が・・・と
願いつつ

この桜のように

最初は小枝で咲いても

いずれ、
大木のオオサクラような平和
世界をつくりたいと思います。
・・・

では、
今日ご紹介するのは

名付けて

観自在修行僧です。

話は脱線しますが

ヒトは、ものを認識する場合

いちばんの

情報検知器官は

何だと思いますか?

ハイ!

そのとおり。

視覚器官です。

ちなみに面白い質問が

「知恵袋」に
以前載っていたのでご紹介します。

それは、
_________________

視覚は一番よく使う感覚器官なのに

ほかの感覚器官に比べて

無防備に思えるのはなぜですか?

_________________
という内容でした。

ベストアンサーに選ばれた回答は
_________________

高感度を得るためにはできるだけ外に

晒す必要があるのでしょう。
_________________
これは素晴らしい
回答だと思います。

真理です。

この質疑はきわめて

重要な示唆なのだと思います。

つまり

わたし的に思うことは

何事も

オープンに
自らを晒すことで

多くの情報や刺激を

得る広がりが

得られるということ。

しかし反対に

オリジナル性が
失われる環境
に囲まれる。

人間、いずれにしろ

鍛錬や修行が何らかの形で

必要なのでしょう。

なぜって?

だって、ずーっと同じままでは

生きてられないからです。

世間一般的に

「安定」を求める志向ですが
安定ほど、危うく

無味乾燥な
領域はありません。

だから、多くの人が

・飽き飽き

・惰性

・別の表現でマンネリ

に陥るのだと思います。

だから、それを

その殻を破りたくなる
衝動が
人間には
有るのだと思うのです。

だから

人間、いずれにしろ

鍛錬や修行が
何らかの形で
必要なのでしょう。

観自在修行僧です。

何事も固定観念に縛られず

自在に

・観る

・思う

・視点を変える

・自他の立場を交換できる

・感情移入

・変身

・年代を超える

・性別を超える

つまり、変化できる。

これこそが、
安定ではありませんか?

こんな
思いを込めた作品が

シゲジイの

この観自在修行僧に
込められています。

なにやら、
観自在なためか、
どこを見ているのか?

ロンパリ?
(今は死語ですが)
の視点が

定まっていないのです。

決して、
この修行僧は、

目がテッカリでも
ありません。

目がテッカリでは、
ありませんでした。

その証拠に

上からの撮影で
明らかになりました!

彼の眼(まなこ)は、
キチット正面を向いていました。

別な気づきを得ました。

それは、ヒトはよく、

外観8割、中身2割とか

言っていますが
その外観すら

危うい

光と影でつくられた世界

角度を変えただけで、

3次元のものは

その表情は、

大きく変わったり

訴えてきたりする。

何がほんとうか
「自在を観る」ことで、

ホンモノが

わかるようになる
ということ。

今朝はこれにて、終了します。

また、次回をお楽しみに

では、次回もシゲジイほりもの教室へ
寄っていってね!


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