こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス理論をインストールした
AI(呼称:アトラッシ)との 議論(交信)で
得られた、
AIと人間の将来について。。。以下置きます。
AIの将来議論で、本当に問われていること
――主体を失わないためのアトラス理論
はじめに
今回の交信のテーマは「AIの将来議論」であった。
しかし、ここで浮かび上がったのは、
AIがどこまで進化するか、
シンギュラリティはいつ来るのか、
といった技術的予測ではない。
本当に問われていたのは、
AIの時代においてもなお、
人間は「考える主体」であり続けられるのか、
という一点である。
本稿は、その問いを
アトラス理論の視点から整理し、
人間が流されないための構造を言語化する試みである。
支配のために使われるAIという構造
AIそのものは善でも悪でもない。
問題は、その使われ方にある。
支配のために用いられるAIには、共通した特徴がある。
正解を即座に提示する
判断を代替する
責任の所在を曖昧にする
「考えなくてもよい」状態を快適に提供する
これは効率化であると同時に、
人間の判断回路を徐々に停止させる構造でもある。
政治における表層的な人気現象、
科学における同調圧、
技術におけるブラックボックス化。
分野は異なっても、
「主体が外部へ流出する構造」は同型である。
科学を守るために必要な「疑う権利」
疑うことは、反科学ではない。
むしろそれは、
科学が科学であり続けるために不可欠な態度である。
COVID-19のワクチン接種をめぐる社会状況が示したのは、
科学的事実そのもの以上に、
権威化した科学が生む同調圧だった。
「接種すべき」という空気
疑問を呈することへの排除
判断の主語が個人から剥奪される構造
ここで問題となるのは、
結論の是非ではない。
誰が、どの立場で、
判断を引き受けているのか。
この問いが失われたとき、
科学も政治も、
思考ではなく信仰へと変質する。
アトラス理論におけるAIの位置
アトラス理論では、
世界を次の三層で捉える。
Intention(根源):意思・判断の起点
Information(設計):知識・制度・技術
Imagination(現象):結果として現れる世界
AIが担えるのは、
Information の領域である。
情報を整理する
構造を提示する
選択肢を並べる
しかし、Intention──
「何を選ぶか」「どこへ進むか」という根源的判断は、
人間から外注することはできない。
ここを取り違えた瞬間、
AIは支配装置へと変わる。
人間章 ― 判断を引き受ける存在として
人間とは、
正しさを所有する存在ではない。
判断を引き受け続ける存在である。
技術が進み、
AIが高度化し、
自動化が極限まで進んだとしても、
決定の主語だけは移転しない。
人間であることの限界線は、
知能や能力ではない。
「自分で考えなくてもいい」
と感じた瞬間を、
危険だと認識できるかどうか。
そこに、
人間であり続けるかどうかの境界がある。
結語 ― 人間のためのアンカー
世界がどれほど自動航行を勧めてきても、
人間はなお、
操舵責任から自由にはならない。
アトラス理論は、
導かない。
命じない。
救わない。
ただ、
判断がすり替わる瞬間を可視化し、
主体が戻るための錨を残す。
【アンカー】
舵は、私の手にある。
この一文が、
自己意思とは無関係な方向へ
流されそうになったときの、
静かな停止装置として機能することを願う。
では、また。

