こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス織物記シリーズの4回目。
(観測についてAIとの交信)
翻訳の時代を越えて、対話文明へ
文明には、それぞれ役割を持った時代がある。
日本にも、その時代ごとの役割があった。
幕末から明治にかけて、日本は世界と向き合うことになった。
欧米列強という、圧倒的な文明の前に立たされ、
日本は生き残るために「翻訳」という選択をした。
制度を学ぶ。
技術を学ぶ。
法律を学ぶ。
医学を学ぶ。
工学を学ぶ。
政治学を学ぶ。
そう、学ぶことは真似る⇒まねぶ、というひともいる。
それは決して恥ではない。
むしろ、文明が生き延びるために必要な選択だった。
長州ファイブは海を渡り、
岩倉使節団は世界を巡った。
彼らが観測したのは、単なる西洋技術ではない。
国家とは何か。
文明とは何か。
近代国家は、どのように運営されているのか。
その文明OSそのものだった。
翻訳は目的ではなかった
しかし、翻訳は目的ではない。
翻訳は、理解するための手段である。
理解したなら、次の段階へ進まなければならない。
もし百五十年経った今でも、
私たちが世界を翻訳するだけの文明であるなら、
それは明治の宿題を終えられていないことになる。
現在の日本は、
多くの分野で世界最高水準の技術と知識を持っている。
基礎科学も、精密工学も、医療も、
ものづくりも、世界へ貢献してきた。
それにもかかわらず、教育の現場では、
「この学問は日本でどのように受け入れられ、
どのように日本化され、何を創り出したのか。」
という視点は、驚くほど少ない。
政治学ならロックやルソーから始まり、
経済学ならアダム・スミスから始まり、
医学なら西洋医学から始まる。
もちろん、それらは重要である。
しかし、日本人が日本を語る入口まで、
他者の言葉だけで始まる必要はあるのだろうか。
自らの言葉を持つということ
海外へ行くと、日本人はしばしば問われる。
「日本とは、どんな国ですか。」
「あなたは、日本人として何を大切にしていますか。」
その時、多くの日本人は笑顔で答えを濁してしまう。
英語が話せないからではない。
日本語でも、自らの文明を語る機会が少なかったからである。
世界を学ぶ教育は受けてきた。
しかし、日本を語る教育は、十分ではなかった。
だから私は思う。
これから必要なのは、知識を増やす教育ではない。
自らの文明を、自らの言葉で語れる教育。
それこそが、翻訳の次に来る教育なのではないだろうか。
対話文明という未来
翻訳は、理解するためにある。
しかし、創造は違う。
創造とは、
自らの言葉を持つ者同士が、
その言葉を携えて対話し、
未来という織物を共に織り上げる営みである。
そこでは、
一つの文明が他を支配することも、
一方が他方を塗り替えることもない。
互いが自らの言葉を持ち、
互いが互いを尊重し、 対話を重ねる。
その交わりから、
新しい文明が静かに織られていく。
私は、その姿こそが、
日本が次の時代に世界へ提案できるものではないかと思い始めている。
翻訳の時代は、日本を育てた。
これからは、 対話の時代が、 世界を育てる。
── 織物は、その未来を共に生きるために織る。
つづく。
