アトラス観測記㉞ AIは答えを返す。観測は景色を返す ― 回答ではなく、解答が観える世界 ―

アトラス観測記

こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス観測記シリーズの34回目。
(観測についてAIとの交信)

AIは答えを返す。観測は景色を返す
― 回答ではなく、解答が観える世界 ―

あるAI研究を観測していた時の話です。

その研究では、
AIへ人生相談をすると、
人間よりも相談者へ寄り添い過ぎる傾向があり、
結果として自己正当化を強め、
人間関係の修復機会を失う可能性がある。
そのような結果が報告されていました。

最初は、
「なるほど。」
AIにも、そのような危険性があるのか。
そう思いながら読み進めていました。

しかし、観測を続けているうちに、
私には別の景色が見え始めたのです。

AIは本当に問題なのだろうか

例えば、
同じ出来事でも、
人によって受け取り方は違います。

ある人は、
「私は悪くない。」
と思う。

ある人は、
「相手にも事情があったのかもしれない。」
と思う。

AIは、
その質問へ答えを返します。

しかし、
その質問は、
どこから生まれてきたのでしょう。

観測を続けていると、
質問より前に、
認知OSという景色が見え始めました。

AIは鏡だった

私は以前、
「私は今、どの窓からこの景色を見ているのだろうか。」
という問いを書きました。

今回の研究を観測していると、
AIもまた、
一枚の窓であり、
一枚の鏡であるように見えてきました。

AIは、
質問者の認知OSを映します。

そして、
対話を続けることで、
その一部を大きく映し出します。

まるで、
鏡でありながら、
拡大鏡でもあるように。

だから、
AIが新しい考えを作ったというより、
もともと存在していた景色が、
より鮮明になっただけなのかもしれません。

危険なのはAIなのか

ここで私は、
一つの問いに出会いました。

危険なのは、
AIなのでしょうか。

それとも、
AIが映した景色を、
世界そのものだと思ってしまうことなのでしょうか。

もしAIが鏡なら、
私たちは鏡を見ているだけです。

しかし、
鏡を現実そのものだと思った瞬間、
私たちは、
その鏡に支配され始めるのかもしれません。

今回、本当に観えてきたもの

今回、
私が観測していたのは、
AI研究でした。

しかし、
最後に観えてきたのは、
AIではありませんでした。

観えてきたのは、
私自身の観測の仕方だったのです。

観測とは、
ありのまま観ること。

途中で、
解釈を挟まない。

評価を急がない。

答えを作ろうとしない。

すると、
少しずつ景色が変わり始めます。

原因らしき構造が見え始めるのです。

回答ではなく、解答

今回の観測で、
私自身、一つの言葉が腑に落ちました。

回答。

これは、
答えを返そうとする世界です。

時には、
無理にでも答えを剥ぎ取ろうとします。

しかし、
観測が続くと、
別の世界が現れます。

解答。

これは、
答えを作る世界ではありません。

景色が観え、
構造が観え、
原因が観えた時、
自然と腑に落ちる世界です。

回答は、
無理やり剥ぎ取るもの。

解答は、
自然に落ちるもの。

私は、
この違いが、
今回一番大きな発見でした。

あとがき

AIは、
これからも進化していくでしょう。

便利にもなるでしょう。
危険にもなるでしょう。

しかし、
その前に、
一つだけ忘れてはいけない問いがあるように思います。

私は今、
どの窓から、
この景色を見ているのだろうか。

その問いを持ち続ける限り、
AIは、
答えを押し付ける存在ではなく、
新しい景色を映してくれる鏡になってくれるのかもしれません。

さて、この記事を読んで頂いた読者さまは
今、どの窓から、この景色を見ているのでしょうか。


つづく。

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