こんにちは、\イッカク です。/
今回は、アトラス玄関シリーズの3回目。
便利になったのに、なぜ疲れるのか
最近、
「何もしていないのに疲れる」
そう感じる人が増えています。
スマホを見ただけなのに疲れる。
SNSを見ただけなのに気持ちが重くなる。
情報は増えました。
便利にもなりました。
ですが人間の心は、
本当にそれに適応できているのでしょうか。
現代人は、常に“接続”されている
今の社会では、
人は一人でいても、完全には一人になれません。
ニュース。
通知。
動画。
SNS。
広告。
AI。
常に何かが流れ込み、
常に反応を求められています。
しかも現代では、
世界中の出来事が、
直接、個人の感情へ流れ込んできます。
戦争。
災害。
政治対立。
経済不安。
炎上。
分断。
人間の脳は本来、
ここまで大量の情報を処理するようには作られていません。
「不足」の時代から、「過剰」の時代へ
かつての文明は、
足りないものを埋めるために発展してきました。
食料。
交通。
医療。
通信。
エネルギー。
ですが現代では、
逆に、“多すぎる”ことが問題になり始めています。
情報が多すぎる。
刺激が多すぎる。
比較対象が多すぎる。
選択肢が多すぎる。
便利になった一方で、
人間の心は、
休まる時間を失い始めています。
接続は増えた。では、絆はどうか
現代人は、昔より遥かに多くの人と繋がっています。
ですが、
「繋がっている感覚」と、
「理解されている感覚」は、必ずしも同じではありません。
数字。
通知。
拡散。
承認。
炎上。
現代社会では、
感情すら高速処理される対象になり始めています。
その結果、
誰かと繋がっているのに孤独。
情報は多いのに不安。
便利なのに満たされない。
そんな不思議な時代が訪れています。
文明の速度に、人間が追いつけなくなっている
問題は、文明そのものではありません。
技術の発展が悪なのでもありません。
ただ、
文明の速度と、
人間の心の速度が、
噛み合わなくなり始めている。
そこに、現代社会の疲労があります。
だから今、必要なのは、
単なる便利さではなく、
「人間が人間として耐えられる社会とは何か」
その視点なのかもしれません。
次回予告
情報が増え、
社会の速度が上がるほど、
なぜ人々は、
“白か黒か”へ向かい始めるのでしょうか。
次回、
「アトラス玄関④ なぜ、人々は“極端化”していくのか」
情報過剰時代に起きる、
分断と極端化の構造について、
静かに観察していきます。

