こんにちは、\イッカク です。/
今回は、民意がなぜに為政者に伝わらないのか?について
民意と逆に進む政治は、
なぜ起きるのか
最近の日本の政治を見ていると、
たとえば、
物価が上がり続けているのに生活支援は追いつかず、
税や社会保険料の負担だけが増えていく、
そんな場面を多くの人が経験しています。
「自分たちの暮らしが苦しくなっているのに、
なぜ政治は、逆のことばかり決まるのか」
そう感じる人は少なくないと思います。
増税、社会保険料の引き上げ、
各種補助の縮小、制度の使いにくさの拡大。
多くの人が困っているはずなのに、政治は止まらない。
しかも為政者は、
「国民の理解は得られている」
「民意に沿っている」
と説明します。
このズレは、いったい何なのでしょうか。
これは陰謀論でも、感情論でもありません。
政治の仕組みの中で起きている“構造的な問題”です。
「国民の声」とは、本来なにか
本来、国民の声とはとても単純なものです。
・毎日の生活が成り立つか
・安心して働けるか
・子どもや老後に不安がないか
こうした生活の実感の積み重ねが、国民の声です。
ところが今の政治では、
この生活の実感が、政策を考える出発点になっていません。
すり替えられる「民意」
最近よく聞く言葉があります。
・国民の多くが望んでいる
・声なき声に応える
・将来世代のために必要
・専門家がそう言っている
これらは一見、もっともらしく聞こえます。
しかし、よく考えてみてください。
具体的な生活の話が、ほとんど出てきません。
誰の生活が、
どこで、
どう良くなるのか。
そこが語られないまま、
「民意」という言葉だけが使われる。
これは、本当の国民の声ではありません。
なぜ、こんなことが可能なのか
もちろん、
政治には国際情勢や経済制約といった
複雑な条件があるのも事実です。
すべてを単純に割り切れるものではありません。
理由ははっきりしています。
政治の中で、
国民の生活よりも、
別の優先順位が上に置かれているからです。
・国の体裁
・強い国家像
・上から決めて下に従わせる考え方
・組織として扱いやすい集団の声
こうした要素は、国家運営の一部として必要な側面もあります。
しかし、
一人ひとりの生活の声よりも、
まとめやすく、操作しやすい。
だから、
「生活の声」は後回しにされ、
「民意っぽく見える説明」が前に出てきます。
## 法律は守られている。でも…
実際に、多くの政策決定は「合法」であり、
「専門家の意見」や「データ」に基づいて説明されます。
ここで重要なのは、
多くの決定が法律上は正しいという点です。
選挙もある。
国会も通している。
手続きは合法。
それでも、
暮らしは苦しくなっていく。
これは、
形だけ民主主義で、中身がずれている状態です。
国民が決めているように見えて、
実際には、
国民の生活から出ていない方向に進んでいる。
国民は、どうすればいいのか
「怒る」だけでは変わりません。
「誰かを叩く」だけでも変わりません。
一番大事なのは、感情的に反発することではなく、
自分の生活から言葉を出すことです。
・何が苦しいのか
・どこで困っているのか
・何が改善されていないのか
難しい言葉は要りません。
立派な理論も不要です。
生活の実感を、そのまま言葉にする。
それを、
周りの人と共有する。
「それって本当に国民のため?」と問い続ける
ニュースや政治家の言葉を聞いたとき、
こう問いかけてみてください。
・これは、誰の生活が楽になる話か?
・困っている人の姿が思い浮かぶか?
・あとで見直せる仕組みになっているか?
もし答えが曖昧なら、
それは「国民の声」ではない可能性が高い。
おわりに
政治は本来、万能でも完璧でもありません。
だからこそ、国民の側からの問いかけと修正が必要になります。
国民の声とは、
大きなスローガンではありません。
毎日の生活そのものです。
そこから離れた政治は、
どれだけ正しそうに見えても、
いずれ人を苦しめます。
だからこそ、
声を失わないこと。
小さくても、
生活から出た言葉を、
出し続けること。
それが、
本当の意味で政治を取り戻す、一番確実な方法です。
では、また。

