こんにちは、\イッカク です。/
今回は、「市民とれいわ」が、
リスタートラインに立った位置で、次は何をするかです。
リスタートラインの、その先へ
前回の記事では、
れいわも市民も「同じ市民である」という地点に
立ち戻るための、
リスタートラインのマインドセットを提示しました。
ここから先は、
その理解を前提に、次に何をすべきかを具体化します。
結論を先に言うと、
やるべきことは
「組織を強くする」ことでも
「支持を広げる」ことでもありません。
アプローチの向きを変えることです。
れいわの立ち位置を、もう一度はっきりさせる
れいわは、市民を代表する存在ではありません。
市民を導く主体でもありません。
れいわは、
市民の違和感や問いが
公共の言葉へ変換され
社会に置かれる
その通過点です。
ここを取り違えると、
説明しすぎる
代弁しすぎる
まとめすぎる
という方向に流れ、結果として「組織化=乱列化」が進みます。
れいわがやるべきことは、
音量を上げることではなく、歪みを減らすことです。
市民側のアプローチ転換
市民がやりがちなのは、
応援する/しない
支える/支えない
正しいか/間違っているか
という二択に自分を押し込めることです。
しかし本来、市民に求められているのは
「支持者」ではありません。
必要なのは、
自分の違和感を手放さないこと
その違和感を自分の言葉で持ち続けること
他人の言葉に即座に回収されないこと
つまり、判断を預けない市民でいることです。
「変換」と「増幅」を分けて考える
ここが、今回一番重要なポイントです。
変換:意図を公共語に置くこと
増幅:それが広がるかどうか
この二つは、同じ場所に置いてはいけません。
れいわが担うのは変換まで。
増幅は、社会側で自律的に起きるものです。
TV出演、討論会、SNSでの切り抜き。
それらはすべて、外部の増幅回路です。
れいわ自身が「広げよう」とした瞬間、
増幅は操作に変わり、信号は歪みます。
次にやるべき、具体的な一歩
れいわ側がやること
「動いていない事実」を淡々と可視化する
結論を視聴者に渡す
感情を煽らない
正解を提示しない
市民側がやること
すぐに評価しない
すぐに味方/敵に分けない
自分の言葉で言い直す
小さく共有する
これだけでいい。
組織を作らなくていい。
号令をかけなくていい。
成列は「起こすもの」ではなく「起きるもの」
ここで言う「成列」とは、
誰かが誰かに従わせた状態のことではありません。
考え方や判断の向きが、
たまたま同じ方向を向いている状態のことです。
号令があるわけでもなく、
リーダーが指示するわけでもない。
それでも、
「今は、そっちだよね」と
多くの人が同じ感覚を持っている。
そんなときに、成列は起きます。
れいわが前に出すぎず、
市民が自分で考えることをやめない。
この二つが同時に保たれているとき、
無理に作らなくても、
社会のどこかで、自然に揃います。
そして、状況が変われば、ほどけます。
ずっと揃っていなくていい。
揃え続けようともしなくていい。
必要なときに揃い、
不要になれば、またバラける。
それが、成列です。
あえて、この道を選ぶという宣言
ここで一つ、はっきりさせておきます。
このアプローチは、
勝ちやすい戦術ではありません。
速く広がる方法でもありません。
議席数を最大化するための処方箋でもありません。
むしろ、
認知は遅く
効率は悪く
成果は見えにくい
そうした不利を、最初から引き受ける立場です。
それでもこの道を選ぶ理由は一つです。
政治が、音量や熱狂の競争に飲み込まれ、
問いそのものが歪んでいく状況に対して、
歪まずに問いを社会に置き続ける存在が、
どこかに必要だからです。
成列は、保証できません。
起きないかもしれないし、
起きても小さく、すぐ消えるかもしれない。
それでも構わない。
この姿勢自体が、
今の政治環境に対する、ひとつの明確な応答です。
おわりに
今回の問いは、
「どうやって勝つか」ではありません。
「どうやって歪まずに、社会に置くか」。
そのための、次の一歩です。
れいわも市民も、同じ市民。
同じ地点から、違う役割を担う。
ここを外さなければ、やりすぎることも、壊すこともありません。
では、また。

