こんにちは、\イッカク です。/
今回は、政治に対する不信感について
先ずは、コチラを
移民政策という引き金
――語られない政治が生む、不信とフラストレーション
はじめに
今回の話の発端は、移民政策だった。
しかし、議論を追っていくうちに見えてきたのは、
移民政策そのものではなく、政治の運営スタイルそのものに対する不信である。
制度は進む。
数字は出てくる。
だが、その背後にある意図や将来像は、国民に十分には語られていない。
この「語られなさ」こそが、
いま国民の側に広がっているフラストレーションの正体である。
移民政策は「象徴」にすぎない
政府は、技能実習制度に代わる「育成就労」制度を閣議決定し、
特定技能と合わせて累計で約123.19万人
(特定技能約80.57万人 + 育成就労約42.62万人、2028年度末まで)の
外国人労働者を受け入れる枠組みを示した。
これは事実であり、憶測ではない。
一方で、政府はこの政策を「移民政策」とは呼ばず、
あくまで「労働力不足への対応」と説明している。
問題は、その是非以前に
この制度が日本社会をどのように変えるのか
10年後、20年後の社会像をどう描いているのか
日本人とは何か、国民とは何かをどう考えているのか
といった根本的な問いは、
部分的に国会質疑や審議会資料で触れられているものの、
十分に国民に言語化・提示されているとは言い難い。
具体例として、
外国人材受け入れ基本方針では「共生社会」という言葉が出てくるが、
どのような共生の姿を目指すのか、
負担と利益のトレードオフをどう考えているのか、
といったビジョンは国民向けに十分に語られていない。
移民政策は、
語られない政治の「象徴」として浮かび上がったにすぎない。
語られない政治が生む認知の空白
政治において、説明が欠けるとどうなるか。
人は「分からない」状態に耐え続けることができない。
空白があれば、そこを解釈で埋めようとする。
なぜ言わないのか
何か隠しているのではないか
本当の意図は別にあるのではないか
こうした憶測は、国民の側の問題ではない。
説明されないこと自体が、憶測を生む構造なのだ。
移民、防衛費、対米関係、国際会議での約束。
いずれも国の形を左右する重要なテーマであるにもかかわらず、
判断基準や線引きが十分に共有されないまま進んでいる。
この状態が続けば、
政治の言葉は「説明」ではなく「スローガン」に見えてしまう。
政治とカネと国際取引の不透明さ
国内では「政治とカネ」の問題が繰り返され、
国外では防衛装備や巨額の出資、
同盟国としての負担増が次々と積み上がる。
その一つ一つが即座に違法だと言えるわけではない。
しかし共通しているのは、
誰が、どこで、どのような前提で決めたのかが見えにくい。
事後的な説明が中心で、選択肢が示されない。
この不透明さが積み重なると、
国民の側には「また同じ構図ではないか」という既視感が残る。
そして問題が表面化したとき、
「想定外」という言葉で片付けられてきた過去の記憶が呼び起こされる。
ファシズム化への恐れはどこから来るのか
いまの日本が、直ちにファシズム国家だという話ではない。
しかし、怖さを感じる人が増えているのはなぜか。
それは、
強い思想が押し付けられているからではない
言論が封殺されているからでもない
重要な決定が、
説明されないまま既定路線として積み重なっていく
この運営スタイルに対する警戒心である。
ファシズムは、
必ずしも強烈なスローガンから始まるわけではない。
説明なき決定が当たり前になり、
国民が判断の主体から外されていくとき、
民主主義は静かに弱っていく。
おわりに
移民政策が問題なのではない。
防衛費が問題なのでも、
対米関係そのものが問題なのでもない。
問題は、
国の形を変えうる政策について、
政権が言語化を十分に行っていないことだ。
語られない不安は、必ずフラストレーションになる。
フラストレーションは、やがて分断や過激化の温床になる。
いま必要なのは、結論の押し付けではない。
判断材料を、国民の前に正直に並べることだ。
それができるかどうかが、
この国が民主主義として踏みとどまれるかどうかの分岐点になる。
では、また。

