憲法手続き破壊の構造分析

アトラス理論で読む

こんにちは、\イッカク です。/
今回は、「憲法手続き」が破壊された件

憲法手続き破壊の構造分析

はじめに

今回は、高市政権下で扱われた憲法運用について、
賛成か反対かという立場論ではなく、
何が起きていたのかを構造として整理する。

ここで用いるのはアトラス理論である。
これは筆者が提唱している分析枠組みであり、
出来事の善悪や賛否ではなく、
構造上の接続順序を観測するためのものである。

これは、社会制度や政治判断を
Intention(根源的な意図)
Information(制度・手続きの設計)
Imagination(現象として現れる政策や行動)
という三層の接続状態として捉える分析枠組みであり、
結果の良し悪しではなく、
接続順序が守られているかどうかだけを判定対象とする。

本稿では、この枠組みを用いて、
特定の思想や人物を評価することなく、
憲法運用の構造そのものを観測する。

憲法という設計の構造

憲法というものは、
政策を実現するための道具ではない。
国家権力がどこまで行使してよいかを縛るための
最上位設計であり、その設計は三つの層で成り立っている。

最上位には
Intention がある。
国民主権、権力抑制、立憲主義という根源的な意図である。

その下に
Information があり、
憲法改正手続、国会審議、司法判断といった制度設計が置かれる。

そして最下層に
Imagination として、
政策や行政運用、具体的な政治行動が現れる。

この三層は、
必ず上から下へ一方向に接続されなければならない。
順序が逆転した時点で、
構造は成列ではなく乱列(構造の逆転・崩壊)になる。

高市政権下で起きていたこと

高市政権下で
観測された憲法運用では、
憲法改正という正規ルートを経ないまま、
解釈変更や運用変更によって政策が先行する場面が複数見られた。

典型的なのは、
国会での十分な審議や国民的合意形成を経る前に、
内閣主導で憲法解釈を拡張し、
その解釈を根拠として
行政・政策を実行する流れである。

これにより、
実質的には国家権力の行使範囲が
変更されているにもかかわらず、
形式上は「法律も憲法も変えていない」
という説明が可能になる。

この構造は、
政策という現象を先に走らせ、
制度や手続きを後から合わせ、
憲法の趣旨を事後的に正当化するものだ。
安全保障分野などで見られた
解釈拡張の経緯を想起すると、この構造は理解しやすいだろう。

アトラス理論の構造判定では、
Imagination(現象)が起点となり、
Information(制度)が追随し、
Intention(憲法の趣旨)が後付けで説明される状態は
明確な乱列(構造の逆転・崩壊)である。

なぜこれが禁じ手なのか

ここで重要なのは、
「憲法解釈の変更そのもの」を
全面否定しているわけではない点である。
歴史的に見れば、憲法解釈が一定の範囲で更新されてきた例は存在する。

問題となるのは、
その変更がどの層から始まったかである。

正規の構造では、
憲法の趣旨という Intention が先に共有され、
それをどう制度化するかが
国会で議論され、最後に政策として現象化される。

ところが今回観測されたのは、
現実対応を理由に政策実行を先行させ、
その後で制度解釈を広げ、
最終的に憲法趣旨を説明するという逆順の接続だった。

憲法改正が困難であるという事実は、

制度運用の過程で生じた欠陥ではない。

それは、憲法草案の段階において、

権力行使に強い慎重さを課すため、

意図的に高いハードルを設けた設計である。

にもかかわらず、

この設計を回避する手法が常態化したとき、

立憲主義は外形を保ったまま、

内側から実質を失っていく。

この辺の認識が国会議員としての
当然の資質ではなかったのか。😱

国会議員団としてあるまじき理由

ここで言う「国会議員団としてあるまじき行為」とは、
感情的な非難ではない。
国会議員の正当性は、
結果や熱量ではなく、
手続きを守ることによってのみ成立する。
手続きを壊してでも目的を通す行為は、
立法府が自ら立法府であることを否定する行為に等しい。

これは特定の思想や陣営の問題ではない。
この禁じ手が一度許されれば、
次に同じ方法を使うのは、
自分が支持しない政権になる。
制度破壊は、必ず立場を超えて跳ね返ってくる。

市民は何を観測すべきか

市民が注目すべきなのは、
個々の政策の中身やスローガンよりも、
どの手続きが使われたかという点である。

具体的には、
次の点を継続的に観測する必要がある。

第一に、
本来は法律改正や憲法改正が必要な内容が、
解釈変更や運用変更という形で処理されていないか。
正規ルートが意図的に回避されている場合、
構造は乱列(構造の逆転・崩壊)している。

第二に、
国会審議が政策決定の起点になっているか、
それとも既に決めた内容を追認させる場に変質していないか。
審議が後付けになった瞬間、
Information は機能不全に陥る。

第三に、
政府説明が一貫した原理から語られているか、
それとも場面ごとに理由がすり替わっていないか。
説明の揺れは、Intention が共有されていない兆候である。

これらは専門知識がなくても観測できる。
手続きが前にあり、
政策が後に来ているかどうかを見るだけでよい。

市民がこの観測を怠らない限り、
どの政権であっても、
憲法を踏み台にする構造は可視化される。

おわりに

高市政権下で観測された憲法運用は、
政策の是非以前に、
構造として乱列(構造の逆転・崩壊)していた。

本稿で示した指摘は、
特定の政権を断罪するためのものではない。
同じ構造は、
過去の政権でも、
将来の政権でも起こり得る。

だからこそ、人物や思想ではなく、
接続順序という構造に注目する必要がある。

憲法は、都合よく使うための道具ではない。
権力を縛るために存在している。
その原点を忘れたとき、
どの政権であっても、同じ崩れ方をする。

では、また。

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