第4章 政治と信仰の制度化

理想が制度に変わると、人間性を弾圧する

こんにちは、\イッカクです/

今回は「理想が制度に変わると、人間性を弾圧する」
論考シリーズの4回目。

第4章 政治と信仰の制度化

──信仰の制度転用と暴走

あなたは、「国家のために」という言葉が、
誰かの声を封じる瞬間を見たことがありますか?

この章では、信仰──本来は内面の問いであるはずの倫理や理念
──が、 政治制度に転用され、暴走する構造を見ていきます。

 

「国家のために」という信仰

信仰とは、本来、制度の外から問いを発する力です。
「何が正しいのか」
「誰が傷ついているのか」
「何が見落とされているのか」
──そうした問いが、制度を揺さぶる。

しかし、制度はその問いを吸収し、
「国家のために」「国民の秩序のために」
という名のもとに、 信仰を制度化していく。

制度化された信仰は、もはや問いを発しません。
それは、答えとして機能するように設計されます。
「この国の正しさ」
「この社会の秩序」
「この文化の誇り」
──そうした言葉が、
信仰の名のもとに制度を正当化する。

 

スパイ防止法──制度化された信仰の暴走

たとえば、スパイ防止法が
「国家の安全保障」の名のもとに制度化されるとき、
それは信仰の暴走の始まりかもしれません。

国民が「国家のために必要だ」と信じ、
制度がその信仰を吸収すると、
異なる声──政府への批判、調査報道、市民の問いかけ
──は 「スパイ行為」として処理される危険が生まれます。

「外国勢力への情報提供」
「秩序の攪乱」
「国家の不利益」
──そうした曖昧な定義の中で、
制度は異論を“敵”として排除する力を持つようになる。

そして、制度は言うのです。
「国家のために」
「国民の安全のために」
──その言葉が、すべての問いを封じる。

 

信仰が暴走するとき

制度化された信仰は、
異なる価値観を「敵」として排除します。
制度の外からの問いを「反逆」として処理します。
制度の中で「正しさ」を独占します。

そのとき、信仰は暴力に変わる。
それは、制度の免罪符となり、 沈黙を強制する力となる。

 

あなたの問いは、スパイか?

もしあなたが、
「この制度はおかしい」と問いかけたとき、
その声が「スパイ行為」として処理されたなら、
それは、制度が信仰を暴走させている証です。

制度は、信仰を吸収し、問いを封じる。
そして、制度の中で「正しさ」が独占されるとき、
異論は沈黙を強いられ、記録されなくなる。

 

信仰とは、制度の外にあるべきもの

では、信仰とはどうあるべきなのでしょうか。
制度の外から問いを発し続けること。
制度の正しさを、信仰の名のもとに免罪しないこと。
そして、制度がその問いを吸収する前に、
記録し、共有し、再構築の根拠として残すこと

 

この章では、信仰が制度に転用され、
制度の暴走を加速させる構造を検証しました。
次章では、制度が「記録されなかった声」を
どのように空白として処理し、
その空白がどのように暴力の温床となるかを考察します。

つづく。

 

 

 
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