こんにちは、\イッカクです/
【連続企画】市民が制度をつくるって、どういうこと?
第3回 制度は誰に仕えているのか?
――支配と参加の構造を見抜く市民のまなざし
こんにちは。
この連続企画では、「制度とは何か」
「市民が制度をつくるとはどういうことか」を、
少しずつ掘り下げています。
前回までに、制度は上から与えられるものではなく、
市民の暮らしの中から育つべきものだという視点を共有しました。
今回は、もう一歩踏み込んで、
「制度は誰に仕えているのか?」という問いを
立ててみたいと思います。
これは、制度の本質を見抜くための重要な視点です。
制度が市民の生活を支えるものであるのか、
それとも市民を従わせるための装置になっているのか。
はてまた、日本の税金が海外に体よく流されてるのか。
(コレ、収奪を見逃してまっせ!)
この違いを見極めることが、
制度に対する市民の主体的な関わり方を考えるうえで欠かせません。
制度は市民に仕えているのか? それとも市民を従わせているのか?
制度が市民の生活を支えるものであるならば、
それは参加型であり、
説明責任と透明性を備えているはずです。
でも、現実はどうでしょうか。
制度が市民を「管理対象」として扱い、
統治の都合によって設計・運用されている場面が、
あまりにも多いのではないでしょうか。
特に最近、世界的に進行している
「移民政策」には違和感を覚える方も多いはずです。
市民の納得を伴わないまま、
制度として強引に導入されているケースが目立ちます。
これは単なる政策ではなく、
「認知操作」と「強制的行政施策」の
二重構造による制度攻撃とも言えるでしょう。
- 「多様性」「共生」「国際貢献」などの言葉が
制度の正当化に使われるが、
実態は経済的・地政学的な人口操作。 - 市民の倫理的懸念は
「排外主義」や「差別」として封じられ、
言語的に覆い隠される。 - 行政は「協力要請」という名の圧力を
地方自治体や教育機関にかけ、
制度を強制的に運用する。
こうした制度は、
市民の声を聞くふりをしながら、
実際には市民の生活実感や倫理的判断を無視して進められています。
制度が「市民のため」と言いながら、
実際には市民の参加を排除し、
説明責任を果たさないならば、それは支配型制度です。
ある町のエピソードから見える制度の仕え方
ある地方都市で、
外国人技能実習生の受け入れをめぐって
住民説明会が開かれました。
行政側は「国際貢献」「地域活性化」といった美辞麗句を並べ、
制度の意義を強調しました。
しかし、実際にその地域で暮らす住民からは、
「生活インフラが追いついていない」
「言語支援も不十分」
「治安への不安がある」
といった切実な声が次々と上がりました。
ところが、行政側は
「国の方針ですので」
「差別的な発言は控えてください」と応答し、
住民の懸念を制度の外に押し出してしまったのです。
このやりとりは、
制度が誰に仕えているのかを象徴的に示しています。
市民の声を聞く姿勢がない制度は、
たとえ「善意」に包まれていても、支配の構造を内包しているのです。
支配型制度と参加型制度の違い
では、支配型制度と参加型制度には、
どんな違いがあるのでしょうか。以下の表に整理してみました。
視点 | 支配型制度 | 参加型制度 |
---|---|---|
制度の起点 | 統治者・外圧 | 市民の経験・声 |
制度の目的 | 統制・効率 | 生活の質・共生 |
市民の位置づけ | 対象・従属者 | 主体・共同設計者 |
情報の流れ | 一方通行・命令型 | 双方向・対話型 |
倫理的根拠 | 正当化の装飾 | 説明責任と検証可能性 |
制度の「奉仕対象」を問い直すことは、倫理的抵抗の第一歩
制度は中立ではありません。
常に誰かの価値観・目的・利益に基づいて設計されています。
だからこそ、市民は制度の「奉仕対象」を問い直す必要があります。
それは単なる批判ではなく、制度を市民の手に取り戻すための
倫理的抵抗であり、制度設計への市民的介入の出発点です。
たとえば、JICAやCLAIRの移民政策の構造的分析は、
制度の「奉仕対象」を可視化し、
制度の再設計を市民の側から提起する営みです。
制度は市民に「奉仕」するべきであり、
そのためには制度の言語・構造・運用に対して、
冷静かつ倫理的な問いを投げかけ続ける必要があります。
制度を「批判する」だけでなく、
「育てる」ためには、制度の本質を見抜く力と、
それを言語化する技法が求められます。
市民が制度の主語となるためには、
制度の「奉仕対象」について問い直し、
構造的な違和感を言葉にしていくことが不可欠です。
そして何よりも、
制度を「自分たちのもの」として扱う感覚を取り戻すことが大切です。
制度は遠いものではなく、
私たちの生活のすぐそばにあるもの。
その制度が誰に奉仕しているのかを見抜く力は、
日々の暮らしの中から育まれていくのです。
次回予告
次回は、「制度の言語を誰が握っているのか?」というテーマで、
制度設計における言語の支配構造を
掘り下げていきます。
制度の言葉が誰の手にあるのかを見抜くことで、
制度の透明性と説明責任を
問い直すことができるはずです。
引き続き、制度の本質を一緒に問い続けていきましょう。
⇒第4回 制度の言語を誰が握っているのか?