第5章 国家責任と市民の覚醒:制度設計と国民生活

制度設計と国民生活

こんにちは、\イッカクです/
「制度設計と国民生活」についての論考ブログです。
今回は5回目。

第5章 国家責任と市民の覚醒

日本の至るところで、
森林を切り崩して設置されたメガソーラー。
「再生可能エネルギー」という名目で広がったはずのそれは、
いまや環境を守るどころか、
むしろ自然破壊の象徴となっています。
山林伐採による土砂災害リスクや洪水の危険、
失われた景観──その代償を負うのは、現地の市民です。
しかし、国や自治体は住民の声に耳を傾けず、
企業や投資家の利益が優先されているのが現状です。
これこそ制度不全の現実といえます。

さらに、風力発電やダム建設、道路工事でも
同様の問題が繰り返されています。
短期的な利益やエネルギー確保の便利さを理由に、
長期的な安全や環境、住民の生活は軽視される。
この構造は、私たち一人ひとりの生活にも直結する重大な問題です。

人権無視の土台と利権構造

すべての利権は、人権を軽視した土台の上に胡座をかいています。
「安さ」「クリーン」「国益」といった言葉で飾られた制度や
事業の多くが、実際には
市民の安全や生活を犠牲にして成立しているのです。

例えば──
– メガソーラーの乱立:
 山林伐採による土砂災害リスクや景観破壊、地域住民の声は切り捨て
– 省エネ賦課金:
 本来の受益者負担原則をねじ曲げ、国民全体に強制的に上乗せ
– 原子力発電:
 労働被曝、避難民の生活困窮、処分場候補地への同意工作など、人権軽視の実態
– ダムや道路建設:
 強制収用や補償の不十分さ、住民生活への影響

制度設計が本来持つべき
「国民生活の基盤を守る」という使命は、
利権層にとって
「国民からコストを吸い上げる仕組み」に
すり替わってしまっています。
この土台が人権を無視している限り、
制度の不正や利権の拡大は止まらないのです。

原子力神話の崩壊

「原子力=安全で安い」という神話も同じ構造です。
実際には、老朽化した原発設備の廃炉費用や
高レベル放射性廃棄物の処理、
核燃料サイクルの失敗などで莫大なコストがかかり、
それを電気料金や税金で国民が負担しているのです。
安全神話とコストの実態のギャップこそが、利権構造の温床となっています。
もしかして、原子力そのものが「ウィルス」と同じ役目を・・・

さらに、省エネ賦課金や再エネ賦課金の仕組みを見てみましょう。
電力会社の経費負担を抑え、
発電事業者の利益を保証するため、
国民の電気料金に自動的に上乗せされる構造です。
本来なら、設備の受益者が費用を負担すべきところを、
全体に負担を分散させてしまう。
この点も、利権と制度設計の絡みを示す典型例です。

市民の覚醒と具体的行動

では、どうすればよいのか。
答えは「市民が覚醒すること」です。
制度が機能しない今、
私たち一人ひとりが声を上げ、行動するしかありません。

具体的には──
– 地方議会への請願、自治体への公開質問
– 新聞や記者クラブへの情報提供
– SNSでの発信や現場の写真共有
– 署名活動や勉強会の開催
– 地域イベントでの問題提起やワークショップ開催

小さな行動の積み重ねが、
やがて制度や政策を揺さぶる力になります。
市民の無関心こそが、利権をむさぼる者たちの最大の武器です。
逆に言えば、私たちが目を覚まし、
一歩でも動けば、
国家責任を取り戻す力になるのです。

国家責任が果たされない今、
市民が眠ったままでは破壊は止まりません。
「守るべきものは何か」を胸に、
一人ひとりが覚醒し、行動を重ねること。
それこそが、この国の未来を繋ぎとめる唯一の道なのです。

つづく。

タイトルとURLをコピーしました