第3章 規格化された命──情報・数値・人体管理__論考:「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出

「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出


こんにちは、\イッカクです/
今回も論考:
「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出3回目を以下置きます。 

第3章 規格化された命──情報・数値・人体管理

ある日、病院で診察を受けた高齢の女性が、

「あなたはすでに“要治療”としてマークされています」と言われたという。

本人の自覚症状も希望も関係なく、

医療ビッグデータの“予測”によって「病人候補」に仕分けされていたのだ。

この話は、もはや他人事ではない。

私たちはいま、「命の取扱説明書」のようなものに管理されつつある。


■ デジタルIDと身体の在庫化

マイナンバーに始まり、保険証と一体化された医療ID、

さらには顔認証、指紋、網膜、声紋、DNA…。

人間は“個体情報”として、国家と企業のデータベースに格納されていく。

これらは「利便性」や「セキュリティ強化」と称されるが、

裏を返せば、人間の存在そのものを「管理可能な在庫」として扱う構図だ。

まるで工場の製品管理のように──

身体は規格化され、数値化され、逸脱すれば「不良品」として再調整される。


■ 医療が「癒し」から「統制」へと変わるとき

一度でも毒液を射った者ならば、その情報は“国際的な衛生ID”に登録され、

今後の移動、就労、保険適用、医療アクセスにまで影響する可能性がある。

「接種歴がない人間はリスク対象」

という前提が世界的に共有されたとき、

“非接種”は病理ではなく、異端として扱われる。

本来、医とは個人の身体と向き合い、

その自然治癒力を引き出すものだったはずだ。

しかし今では、「予測AI」「診断アルゴリズム」など、

本人の意志すら関与しないかたちで、命の状態が外部から決定される。

たとえば、「高血圧」という診断基準を見てみよう。

かつて昭和の時代には、上が180を超えなければ“要治療”とはされなかった。

しかし今では、上が130台でも降圧剤が処方される。

年齢や体質に応じた自然な変化を無視し、一律の基準で薬漬けに導く。

こうした“数値による規格化”は、意図的に病人を生み出す装置となっている。

本来、医療データは「氣づき」を与えるものだった。

だが、「数値=異常」という刷り込みが進み、

本人の感覚より“設定値”が優先される社会となった。


■ 命のスコア化という悪夢

中国で始まった「社会信用スコア制度」は、

「健康信用」「予防行動」などへと拡張されている。

これは、命の“点数化”を意味する。

・病歴

・肥満

・定期健診未受診

・未接種

・自然療法嗜好

・反ワク発言の痕跡…

これらが数値で評価され、

保険料や就職に連動する時代が来る。

命の優劣が、静かに制度化されるのだ。


■ 人間の工業製品化が始まっている

出生前診断、遺伝子編集、ゲノムスクリーニング。

それらは「命の質の向上」という名目で、

実際は「基準外の命の排除」を正当化している。

すでに欧米では、特定の遺伝子変異を持つ胎児は

“産まない選択”という建前で淘汰されている。

命は、生まれる前から“ふるい”にかけられているのだ。


■ では我々は、何を“選ぶ”のか?

誰の設計図の中で命を定義されることを許すのか?

その設計に乗らずに生きる道は、まだあるのか?

制度から逸れることは、困難を伴う。

だがその困難こそが、「自由の氣」を取り戻すための第一歩である。

命は、数値でも製品でもない。

その尊厳は、制度から逸れた場所にこそ残されている。

では、また。

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