第11章 聲(こえ)を聴く
サトコは、朝の静けさの中で目を覚ました。
鳥の鳴き声が、窓の外からそっと届く。
それは、まるで何かを語りかけてくるようだった。
耳を澄ますと、ただの音ではなく「意思」が込められているように感じた。
言葉にはならない。
けれど、たしかに心に響く。
それは「聲」だった。
音を超えた、魂の震え。
人は普段、「声」を耳で聴く。
けれど、「聲」は、胸の奥、もっと深い場所で聴くもの。
サトコは、それを自然の中に見出していた。
風が木々を揺らす音。
川のせせらぎ。
大地を這う虫の羽音。
それぞれが、「生きているものの聲」だった。
彼女は、その聲に耳を傾けることで、内なる静寂とつながる方法を知り始めていた。
ある日、宮城先生が静かに言った。
「人の言葉には、意識の深さが宿る。だが本当に大切なのは、言葉にならぬものの中にある」
サトコは頷いた。
「言葉の裏にある想い、祈り、響き。先生、それが“聲”ですよね?」
「そうだ。音は振動だ。そして振動はエネルギーだ。
すべての生命は、そのエネルギーの共鳴の中にある」
サトコは、それを肌で感じていた。
誰かが苦しみを抱えているとき、その聲は無意識に発される。
助けてという言葉にならない叫び。
怒りの裏にある悲しみの震え。
それらを「聴ける」ようになるには、自分の心のノイズを沈める必要がある。
だから彼女は、毎朝静かな場所で瞑想を始めていた。
自然と一体になるように。
ある日、学校の帰り道で、サトコは公園のベンチに座っている中年の女性を見かけた。
誰も話しかけないその女性の周囲には、見えない「沈黙の膜」が漂っていた。
けれどサトコには、その女性の聲が聴こえた。
「わたしなんか、いなくなってもいい」
サトコは、ただ隣に腰掛け、何も言わずにしばらく一緒に空を見上げた。
その時間が、彼女にとって必要な「聲の応答」だった。
言葉を使わずとも、人とつながることはできる。
サトコはそう確信していた。
すべての存在が、固有の響きを持っている。
それに耳を澄ませれば、争う理由も、拒む必要も、少しずつ溶けていく。
サトコのなかで、「聞く」から「聴く」へ、そして「感じる」へと意識の感覚が育っていった。
彼女の歩みは、誰かに聞こえぬ聲を、誰かの代わりに受け取る者としての歩みでもあった。
そして、彼女は次第に気づきはじめていた。
聲を聴くとは、宇宙と交信することでもあるのだと。
つづく。
第12章