論考:科学という劇場──第3章 パンデミックが拓いた統治の未来

論考:科学という劇場

こんにちは、\イッカクです/
今回も「論考:科学という劇場」の3回目です。

第3章 パンデミックが拓いた統治の未来──デジタル管理社会への道筋

2020年、世界を覆った「パンデミック」は、単なる感染症拡大ではなかった。

それは、社会の統治構造を一変させる“契機”となった。

外出自粛、マスク着用義務、ワクチン接種の強制的同調──

これらの措置は、すべて「科学的根拠」と称されていた。

だが、その多くは時に曖昧で、
状況とともに内容が変わり、整合性を欠く場面も多かった。

それでも人々は従った。

なぜか。

それは、恐怖と不安が社会を支配していたからだ。

未知のウィルスという「見えざる敵」、

そして「あなたの行動が誰かを殺すかもしれない」という心理的圧力。

こうした感情が、「科学に従うこと」を
唯一の安全策のように見せかけていた。

このような状況下で導入されたのが、

接触確認アプリ、
ワクチンパスポート、
QRコードによる入店管理
などの
デジタル技術である。

それらは当初、
「一時的な措置」「利便性の向上」として
受け入れられた。

だが、結果として
社会には新たな“常態”が定着しつつある。

  • どこに行ったか

  • 誰と接触したか

  • ワクチンを何回打ったか

  • 体温や体調の記録はどうか

これらの個人データが、
「健康管理」の名のもとに
集約・監視されていく社会
が生まれた。

しかも、その情報は人々の行動の可否を左右する。

「接種履歴がない人は入店不可」

「イベント参加は陰性証明が必要」

「高齢者施設の訪問はアプリ登録が条件」──

これはもはや、「健康」や「科学」の問題ではない。

社会的信用を数値化し、行動の自由を操作する体制が始まったのである。

つまり、パンデミックはデジタル管理社会の社会実験であった。

しかもそれは、ほとんど抵抗なく受け入れられた。

「公衆衛生」の名のもとに。

だが、ここで見逃してはならないことがある。

それは、こうした統治の仕組みは「科学」によって直接支配されたのではなく、

科学という“信仰”が内面化されたことにより、人々自身が支配に同調したという事実である。

マスクを忘れた者を責めるのも、

アプリ未登録者を遠ざけるのも、

あるいは異論を語る者を「非科学的」と糾弾するのも──

それは国家やAIではなく、市民一人ひとりだった。

支配は、もはや外部から与えられるものではない。

内面に埋め込まれ、互いを監視し合う仕組みとして完成したのである。

この構図は、政治とメディア、そしてテクノロジーが結びつくことによって生まれた。

だが、その根幹を支えていたのは、「科学を絶対と信じる意識」だった。

パンデミックは終わったかもしれない。

だが、“支配の仕組み”は、今も着実に稼働している。

今後、新たなパンデミック、新たな危機が起これば、

私たちは再び同じ構図に巻き込まれるだろう。

しかも、次はもっと自然に、もっと無意識に。

だからこそ、いま問わなければならない。

──この「科学」という劇場の演目は、いったい誰が演出し、誰が観客を演じてきたのか。

そして私たちは、

その舞台にいつまで立ち続けるつもりなのか──。

では、また。

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