こんにちは、\イッカクです/
今回から、「論考:科学という劇場」の1回目です。
第1章 「存在証明」の罠──ウィルスは本当に“見えた”のか?
「ウィルスは存在する」──これは今や、常識として語られている。
インフルエンザ、エボラ、HIV、そして新型コロナ。
病を引き起こす「見えない敵」として、私たちは当然のようにその存在を信じてきた。
だが、ほんとうに「存在」は証明されたのだろうか?
それは、「科学的」と呼ぶにふさわしい手続きと
証拠に裏打ちされたものだったのか?
2024年、サム・ベイリー医師らが発表した
論文『A FAREWELL TO VIROLOGY』は、こう問いかける。
ウィルス学の根幹──
「ウィルスは分離され、精製され、直接観察され、病因として証明された」
という信念──は、科学的検証に耐えうるものなのかと。
この論文では、多くのウィルス研究論文を逐一精査している。
その結果、驚くべき事実が浮かび上がった。
──“精製されたウィルス粒子”を電子顕微鏡で
直接観察した研究は、ほとんど存在しない。
ウィルス分離とされる手順の多くは、
実は「細胞培養」と「化学薬品による反応の間接的観測」であり、
純粋な“ウィルスそのもの”を取り出して
直接確認した例は極めて希少である。
しかも、その“ウィルス粒子”とされるものも、
時に細胞の破片や外来物質との区別がつかない。
にもかかわらず、
それらの研究は「ウィルスの存在証明」として広く引用され、
メディアや行政、教育機関を通じて、
人々の常識へと組み込まれていった。
(ところが、日本での行政機関へ、その論文や証明となる
文章の開示請求をしたところ…「不開示」との回答が
あったようです。🤣)
「PCRで検出されたから感染」
「遺伝子配列が特定されたからウィルスは存在する」
このような認識があっという間に広がったのは、
「科学」という言葉の持つ魔力が、
“事実”と“前提”の違いを曖昧にするのです。
PCRとは、本来「断片的な遺伝子配列の増幅技術」であり、
それが“生きたウィルス”の存在証明になるわけではない。
にもかかわらず、感染症対策の根拠として用いられ、
社会全体を巻き込む「非常事態宣言」の根拠にまでなった。
ここに、「存在証明」の罠がある。
科学的であるように見えるが、
実は非常にあやふやなプロセスに立脚し、
しかもそれを疑う声は
「陰謀論」や「非科学的」として封じ込められていく。
科学は、本来、疑問を歓迎し、
反証可能性を大切にする知の営みだったはずだ。
だが、現代においては
「コンセンサス=事実」という同調圧力の中で、
科学は次第に、“信仰”へとすり替えられていく。
ウィルスは存在する──それは、100歩譲って、
本当かもしれない。
だが、その「存在」を使って、
人々をどのように導いてきたのか。
あるいは、「その存在を信じること」を
強いる社会は、どのような構造を持っているのか。
この問いに踏み込むことが、今、私たちに求められている。
なぜなら、その「前提」が変われば──
社会全体の方向すら、変えることができるのだから。
では、また。