論考:「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出
__🏛️ 第1章 人口減少という名の制度誘導 ― 生存の権利は誰の手にあるのか

「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出


こんにちは、\イッカクです/
今回から、新たな論考シリーズ
「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出
を開始します。

🏛️ 第1章 人口減少という名の制度誘導 ― 生存の権利は誰の手にあるのか

■ はじめに

「人口減少」という言葉が使われるとき、
社会にはどこか静かな諦念のような“氣”が漂う。

少子高齢化、非婚化、経済的不安、育児の困難……。
これらが連鎖し合う中で、
人々が減っていく現象は自然な流れだと受け止められている。
(本来は嘘だと、カラダのどこかで思ってる)
しかし私には、それがただの結果とは思えない。
むしろ、制度的な方向性に沿って、意欲すら削がれる設計のように感じる。

■ 管理可能な規模への「最適化」

日本政府は「8000万人規模での社会安定化」を
目標にした人口戦略に着手している。

この数値は一見すると未来への適応策のように見えるが、
その本質は
「受容」に近い。
経済や社会保障の持続可能性を名目に、
「減るべき数」として人口が計算されているのだ。
つまり、人間が数値として扱われ、
「統治しやすい社会」へと最適化されているとも言える。

この思想には、個人の尊厳や生きる権利を問い直す必要がある。

■ ワクチン政策と身体の再設計

新型コロナウイルスの拡大以降、
私たちは強い接種誘導と情報統制の中に身を置くことになった。

mRNAやレプリコンといった新技術。
特例承認制度のもと、
短期間で投入された「毒液」とも呼ばれるワクチン。
その背景にある科学技術と政治判断は、
ただの医療政策ではなく、
「人体の制度的再設計」に近い印象さえある。

即効性毒によって排除された数。
遅効性毒によって数年後の発症を待つ者たち。
生き残った者はデジタル統治下で管理可能な
“生体ユニット”に変容していく構図。

その全貌は、いまだ語られていない。

■ デジタル化と“生体ロボ化”の地ならし

2021年以降、
マイナンバーカードの健康保険証利用が本格化し、
医療機関では顔認証付きカードリーダーの導入が進められている。
これにより、
保険証を提示せずに医療サービスが受けられるようになった。

また、マイナンバーと接種履歴・診療情報の紐づけにより、
人間の医療履歴が一元管理される体制が制度化されつつある。
これらのデータは、
国の行政機構が監視・分析できる「中央の視線」に置かれる。

2025年には健康保険証の廃止と
マイナンバー義務化が予定されており、
顔認証と接種履歴は連動して
国民管理の中核技術になる見込みである。
AIによる通信制御、
5G・6Gの進化と相まって、
人間の身体は“端末化”の方向へと進行している

果たしてこれは、利便性か?それとも統治への布石か?

■ 自由の所在
このような統治構造の再編成において、
人間の自由・尊厳・内なる「氣力」はどこにあるのか?

それは法令か?行政通知か?
いや、本来、それは「人間として生きる意志」に宿っている。

私たちは、支配者の土俵から静かに降りる必要がある。

誰かが用意した選択肢の中で生きるのではなく、
自ら問い、
自ら語り、
自ら歩む覚悟こそが、
真の自由への一歩である。

■ 終わりに

今、私たちが問い直すべきは――
“この人口減少社会は、
誰の手で描かれ、
誰の意思によって維持されているのか?”

その問いは、制度や政治を超えて、
「人間とは何か?」という根源への問いでもある

この論考シリーズの始まりとして、私の問いを読者の内に静かに投げかけたい。

では、また。
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