こんにちは、\イッカクです/
今回は、論考:
「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出の9回目です。
第9章 分断の構図──
「陰謀論」レッテルが封じるもの
■情報の境界線──なぜ分かり合えないのか
現代社会は、
表の情報と裏の情報という二重構造の上に成り立っているように見える。
マスメディアで流れる「公式情報」は、
あくまでも整えられた
政府が主人公のナラティブ物語の一部であり、
その裏には公開されない意図や動機が伏在している。
ところが、この「裏」を読み解こうとすると、
すぐに「陰謀論者」というレッテルが貼られる。
この現象自体が、
すでに一種の統制であり、思考停止の誘導装置とも言える。
ではなぜ、
こうした分断が意図的に作られ、
維持されているのか──それを考察することが、いま極めて重要だ。
■「陰謀論」という封印装置
言葉には力がある。
特にレッテルは、論理や事実ではなく「感情」に訴える。
たとえば「それは陰謀論だ」という一言は、
相手の思考を封じるだけでなく、
議論そのものを不毛なものに変えてしまう。
問題は、そのレッテルが、誰によって、
どのような意図で貼られているか、という点である。
事実、過去に「陰謀論」とされていた多くの事象
──監視社会の進行、戦争の開戦動機、
あるいはウイルスや医薬品をめぐる情報操作──は、
時が経つにつれて「真実」として表に出てきたものも少なくない。
「陰謀論」という言葉自体CIA がつくったとさえ噂されている。
つまり、「陰謀論」というラベルは、
偽旗工作がバレないように
事実の封印に使われているに過ぎないのではないか。
■二項対立の罠──“賢い側”と“バカな側”
この分断構造は、単に情報の表裏にとどまらない。
思想的にも、「政府を信じるか否か」「科学を信じるか否か」といった
構図に分断され、
それぞれの側が互いを
「洗脳された愚か者」だと見なす傾向がある。
そこに感情の対立が生まれ、
対話が不能になる。
しかも、SNSはその傾向を加速させ、
アルゴリズムによって同じ意見同士の共鳴だけを強化する、
つまりエコーチェンバー(Echo Chamber)に陥っているのでは?
結果的に、分断は固定化し、
少数派の意見や異論は社会から排除されてゆく。
なので、SNSスペースは、意外と大人数とかになりにくいのでしょう。
この構図を維持したいのは誰か──と問えば、
答えは見えてくるだろう。
民衆同士が
同じ意見同士が固まり、異なる意見同士が
争ってくれた方が、
支配層にとっては都合がいいのだから。
■知識人の欺瞞と“権威の盾”
興味深いのは、こうした情報分断のなかで、
大学教授や著名な識者などが“権威の側”に立って
「陰謀論を糾弾」する立場にまわることである。
これは一見、
知性の勝利のように見えるが、
実はその知性そのものが制度的な枠組みに依存しており、
自らのポジションを守るために
異論を排除しているにすぎない。
つまり、知識人という存在は時として、
真理の探求者ではなく、「既存秩序の保守者」になってしまうのだ。
■氣づいた者から、つながる道を
では、この分断構造を超えるにはどうすればいいのか?
鍵は、「氣づく」ことにある。
誰が何を言ったかではなく、
「誰の利益になるか」という視点で物事を捉える。
そして、「情報の出処」だけでなく、
その背後にある文脈や歴史、利権の流れを丁寧に追う。
同時に、氣づいた者同士が、対立することなく、
共鳴しあい、つながること──これが、分断を超える最初の一歩であろう。
それは一見、地味で非効率にも見える。
しかし、「誰も見ていない」
小さな意志のつながりこそが、
やがてこの社会の構造を変える力になる。
レッテルに惑わされず、
分断に巻き込まれず、
静かに「真実を観る目」を養うこと。
それが、この混迷の時代における、
最も大切な人間の知性なのかもしれない。
では、また。