第7章 数値化される命──データによる支配と人格の剥奪
__ 論考:「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出

「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出


こんにちは、\イッカクです/
今回は、論考:
「制度設計された大衆未来と生存選択」からの脱出の7回目です。

第7章 数値化される命──データによる支配と人格の剥奪


静かに、だが確実に、私たちは“数字”の中へ閉じ込められている。

それは、強制されたわけでも、暴力的に奪われたわけでもない。

ただ、「便利」「効率」「安心」「健康管理」という名のもとで、

いつのまにか私たちは、データとして人格を置き換えられてしまったのだ。


■ ID番号と顔認証──あなたはあなたであることを“証明”させられる

かつて、命は“感じられるもの”だった。

だがいま、それは:

  • マイナンバーで管理され

  • 顔認証で照合され

  • クレジット履歴で信頼度が決まり

  • ワクチンパスや健康アプリで「社会的適正」が判定される

つまり、命が“信用スコア”に変換されている。

制度から見た私たちとは、

体温、心拍、消費履歴、移動履歴、ワクチン履歴、SNS投稿──

これらを総合した「人格風データ体」であり、

生きている“存在”ではない。


■ 健康も病気も「定義された数字」で決まる世界

たとえば──

昭和時代、高血圧の基準は上180以下だった。

現在は上140でも“病人”扱いされ、即、降圧剤が勧められる。

なぜか?

製薬会社・医療機関・保険制度が連動し、

「基準値を下げれば患者が増え、売上が伸びる」構造があるからだ。

これは陰謀ではなく、制度化されたビジネス設計である。

命を守るはずの“基準”が、

命をコントロールするための数値フィルターに変わった瞬間──

ここに、最大の危機がある。


■ 数字が“正常”でも、心は壊れている──だが記録されない

多くの人が、こう思って生きている:

「血液検査は正常値だった。私は大丈夫だ」

「異常なし、と言われた。問題ない」

「スマホが健康状態をチェックしてくれるから安心」

だが──その人の中にある孤独、恐怖、不信感、怒り、悲しみ、そして“魂の声”は、

どの診断アプリにも表示されない。

数値化された社会では、

非定量的な“感情”や“直観”は切り捨てられる。

人間性の剥奪は、まず「数字では測れないもの」を“無意味”に見せることで始まる。


■ データの所有権は、誰のものか?

あなたの顔情報、体重、心拍数、購買履歴、脳波、検索履歴──

それらは今、誰が管理しているのか?

・Apple、Google、Amazon

・政府のマイナンバー管理システム

・保険会社や病院ネットワーク

・AIを用いた信用評価システム

一度クラウドに上がったデータは、あなたのものではない。

「私は管理されていない」と思っている人ほど、

すでに深く**“数値化の網”に絡め取られている**のだ。


■ 本当の命は、数値で語れない

生きているとは、

呼吸し、触れ合い、泣き、笑い、震え、迷い、選び、祈ること。

それは、1と0の間には還元できない。

だが、支配システムはそれを“数値”と“タグ”にして管理しようとする。

なぜか?

非数値的な存在は制御できないからだ。


■ 結び──「測定不能な魂」こそが、人間の本質である

制度は、測れるものだけを正当化しようとする。

だが私たちが生きるということは、

その“測定不能な領域”にこそ宿っている。

  • 涙の意味を、アルゴリズムは知らない

  • 息遣いの不安定さに、機械は共感しない

  • 祈りの波動を、クラウドは保存しない

だからこそ、私たちは“数値化”に抗う必要がある。

命とは、感じること。

命とは、響くこと。

命とは、測れないものを大切にする力である。

では、また。

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