こんにちは、\イッカク です。/
今回は、「国民を置き去りにしてしまう日本の構造シリーズ」7回目。
三無は国民の罪なのか
― 構造理論と共鳴理論から読み解く「無関心・無感動・無責任」―
はじめに
「最近の国民は三無だ」と言われる。
無関心。
無感動。
無責任。
だが、その“無”は本当に国民の側から生まれているのだろうか。
本シリーズのテーマは、
**「国民を置き去りにしてしまう日本の構造」**である。
本稿では、構造理論(アトラス理論)と共鳴理論の基本的前提を
確認しながら、三無を読み直してみたい。
1.構造理論の基本 ― 成列と乱列
アトラス理論では、社会現象を三層で捉える。
Intention(根源)
Information(設計)
Imagination(現象)
社会が安定して機能するためには、
この三層が垂直に整列している必要がある。
これを成列という。
一方、三層が断絶し、
根源と設計、設計と現象が接続していない状態を
乱列という。
成列は、意志が設計を通じて現象へと現れる状態。
乱列は、現象だけが動き、根源が反映されない状態である。
2.共鳴理論の基本 ― 横方向の伝播
構造が縦の整列を扱うのに対し、
共鳴理論は横方向の拡散を扱う。
社会では常に何かが共鳴している。
感情が拡散する
空気が広がる
判断が同調する
共鳴は善悪ではない。
問題は、
何が共鳴しているかである。
成列が共鳴すれば社会は安定する。
乱列が共鳴すれば社会は不安定化する。
共鳴そのものが問題なのではない。
構造との関係が問題なのである。
3.無関心は「接続不全」である
無関心とは何か。
それはIntentionがInformationに接続していない状態である。
自分の意志が制度に届くと感じられるとき、
人は自然と関心を持つ。
だが、
声が反映されない
設計が遠い
判断基準が空気に置き換わる
こうした状況では、
接続が感じられなくなる。
無関心は怠慢ではない。
成列が形成されない結果として生じる接続不全である。
4.無感動は「振動条件の不在」である
感動とは、
IntentionとImaginationが共鳴したときの振動である。
未来像が描かれ、
そこに自らの意志が重なったとき、
社会は動く。
しかし、
数字は提示されるが物語がない
手続きはあるが方向が見えない
このときImaginationは振動しない。
無感動とは冷淡ではない。
振動条件が整っていない状態である。
5.無責任は「設計の曖昧さ」である
責任とは、Informationが明確であるときに成立する。
決定の流れが可視化され、
因果が理解できるとき、
人は責任を引き受ける。
しかし、
決定過程が不透明で
責任の所在が拡散し
評価基準が空気に依存する
社会では、責任の輪郭が曖昧になる。
無責任は逃避ではない。
設計が成列していない状態の反映である。
6.三無は構造の症状である
無関心。
無感動。
無責任。
それらは国民の性質ではない。
Intentionが接続されず
Informationが明示されず
Imaginationが振動しない
という乱列構造の症状である。
乱列が共鳴している社会では、
強い怒りや不安は拡散する。
しかし静かな意志は拡散しない。
共鳴しない多数は、
「無」に見える。
だがそれは、
共鳴回路から外れているだけかもしれない。
おわりに ― 次回への問い
三無は国民の罪なのか。
それとも構造の帰結なのか。
共鳴しないことが悪いのではない。
問題は、
どの構造が共鳴しているかである。
もし成列が共鳴するとしたら。
意志が言語化され、
設計が明示され、
未来像が共有されたとき、
社会の振動は変わるのだろうか。
では――
成列は、どのようにして共鳴し得るのか。
次回、その構造を考えてみたい。

