第4章:制度の内側が侵食されるとき─
─語り・設計・運用の変質
前章では、「情報戦」「制度戦」「文化戦」という
三つの戦略が、制度を外部から操作・歪曲する
メカニズムであることを見てきました。
では、制度の“内側”──「語り」「設計」「運用」という三層は、
これらの外部戦略にどう反応し、どう変質していくのでしょうか。
制度は、単なる仕組みではありません。
語りによって正当化され、
設計によって方向づけられ、
運用によって現実に作用します。
これらが外部の戦略に取り込まれたとき、
制度は市民のためのものではなく、支配の道具へと変貌してしまうのです。
■語りの変質──「善意」が操作されるとき
制度の語りは、
もともとその理念や目的を市民に伝えるためのものです。
「国際協力」「人材育成」「多文化共生」
──こうした言葉は、制度の正当性を支える
語彙として使われてきました。
しかし、情報戦がこの語りに介入すると、
言葉は意味を失い、操作の道具へと変わります。
最近の移民政策では、
「経済成長のため」とか
「国際的責任」といった語りが繰り返されますが、
その実態は労働力の囲い込みや利権の拡大です。
語りが変質すると、
市民は制度の本質を見失います。
言葉が耳障りの良いスローガンの「ポリコレ」に
すり替えられたとき、
制度はすでに市民の手を離れているのです。
■設計の歪曲──密室化と利権化の進行
制度設計は、本来なら市民の声を反映し、
透明性を持って進められるべきものです。
しかし、制度戦が設計に介入すると、
プロセスは密室化し、利害関係者の調整場となります。
バングラデシュとの「10万人受け入れ」協定や、
インドとの「50万人交流計画」は、
事前の市民的議論もなく、
首脳会談や国際セミナーの場で合意されました。
東京都とエジプトの覚書も、
都議会議員がSNSで確認するまで、法的根拠すら曖昧でした。
設計が歪曲されると、
制度は市民の生活を再編するにもかかわらず、
市民はその再編に関与できません。
制度は「説明」されるだけで、
「参加」する余地はないのです。
■運用の逸脱──現場が市場に変わるとき
制度の運用は、
現場での実践を通じて市民に届く部分です。
ここが最も生活に直結する層ですが、
文化戦が運用に介入すると、
現場は市場化され、
制度はサービス商品に変わります。
ある動画で紹介されたように、
日本バングラディッシュ合弁会社や
バングラジョブ訓練センターなど、
制度の周辺には多数の移民ビジネスが存在しています。
研修、認証、派遣、雇用
──これらは制度の語りに沿った形で展開されますが、
実態は利権の分配です。
運用が逸脱すると、
制度は市民のためではなく、
制度に乗る者の利益のために動きます。
市民は制度の「対象」ではあっても、
「主体」ではなくなるのです。
■結語──制度の内側を取り戻すために
語り・設計・運用
──この三層が外部戦略に侵食されるとき、
制度は市民のものではなくなります。
制度は語りを失い、
設計を密室化し、
運用を利権化する。
だからこそ、
私たちは制度の内側を問い直さなければなりません。
語りの意味を回復し、
設計に市民の声を取り戻し、
運用を生活の現場に引き戻す。
まったく、宮城県の水道運営権売却の件は
外部戦略に侵食された例ですね。😱
制度の語りに抗する言葉を持ち、
設計に異議を唱え、
運用の実態を検証すること
──それが、制度の内側を市民の手に取り戻すための第一歩なのです。
■次章予告──制度に抗する市民言語の再構築へ
制度の語り・設計・運用が
外部戦略に侵食されるとき、
私たちは制度の内側を問い直すだけでは不十分です。
必要なのは、
制度の語りに対抗する「市民の言語」を再構築すること。
制度の設計に異議を唱える
「市民の構想力」を育むこと。
制度の運用を検証する「市民の現場知」を共有すること。
次章では、制度に抗する市民言語の可能性を探ります。
SNSやブログを通じて、
制度の欺瞞を暴き、
倫理的抵抗を言語化する試み
──それは、制度の外側から内側を揺さぶる市民の戦略です。
制度に「乗る」のではなく、制度を「問う」言葉を持つこと。
それこそが、制度の再構築に向けた
第一歩なのです。