第3章 ポリコレと急進フェミニズム──監視社会への道・・・境界を越えるフェミニズム:急進思想の可能性と限界

論考:境界を越えるフェミニズム:急進思想の可能性と限界


こんにちは、\イッカクです/

■ポリコレって何?

みなさん、「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」って
聞いたことありますか?
これは、もともと差別や偏見をなくすために、
言葉や表現を慎重に選ぶ思想のことです。
表向きには、人権意識を高めたり、弱者を守るための考え方として説明されます。
でも、最近の状況を見ていると、
この概念、ちょっと違う方向に使われているんですよね。
実は今、急進フェミニズムや過激な多様性運動と結びつき、
言論の制限や社会的同調圧力を生み出す道具のようになってしまっているんです。

■文化破壊の道具になってしまう

ポリコレが過剰になると、
文化や伝統、歴史さえも「不適切」とされてしまいます。
学校やメディアで削除や改変が行われることも少なくありません。
これは単なる表現規制ではなく、
価値観の統一を通じて、
私たちのアイデンティティを知らず知らず解体してしまう可能性があるんです。
結果として、各国独自の文化的な免疫力が弱まり、
外からの思想操作が容易になる…
そんな危うい状況が生まれてしまうわけです。

■急進フェミニズムとの関係

少し振り返ってみましょう。
欧米では第二波フェミニズム以降、
性差別撤廃や女性の社会進出が進みました。
ところが、70年代後半になると一部が急進化して、
「性差そのものを社会的構築物として否定する」という考えが強くなったんです。
ここでポリコレの概念と結びつき、
異論を封じる力を手に入れました。
そして大学やメディアを通じて世界に広がり、
日本にもやってきたんですね。
でも、日本の場合は文化の土壌が違うので、
摩擦や違和感が大きく出てしまいます。

■監視社会化の仕組み

ポリコレは「誰かを傷つける可能性のある発言や表現」を規制します。
でも、その範囲はどんどん広がって、
日常会話や研究まで自己検閲を生むようになっています。
SNSが普及したことで、これが相互監視の構造に変わりました。
誰もが他人の発言を監視し、通報する…。
ちょっと聞くと全体主義のようですが、今は国家ではなく、
大衆とプラットフォーム企業がその役割を担っているんです。

■トランプ大統領の対策

こうした流れに警戒したトランプ大統領は、
2020年に 大学での自由な言論を守る大統領令を出しました。
自由な議論を保障できない大学には、
連邦資金を削減する可能性を示したんです。
さらに「1776委員会」を作り、歴史教育のポリコレ化にも対抗しました。
これはただの保守政策ではなく、
文化的アイデンティティを守る防衛策でもあったんですね。

■日本への教訓

日本でもポリコレ的価値観が、欧米以上のスピードで行政や教育に入り込んでいます。
でも、その背景や意図について、
十分に議論されているとは言えません。
急進フェミニズムやポリコレは、元々の目的から外れ、
知らず知らずのうちに文化破壊や監視社会を促進してしまう可能性があります。
アメリカでの反動の動きは、日本にとっても大切な警告ですよね。

■「正しい社会」は誰のため?

ポリコレは、もともと必要な場面では役立つ考え方です。
でも、今のように「多様性」を掲げながら、
異論を排除する道具になると、
国家や文化の土台を静かに侵食してしまうんです。
ですから私たちは、「正しい」という言葉の裏に、
誰がそれを決め、誰の利益のために使っているのかを見抜く必要があります。

■「いただきます」の廃止に関する話

一部で話題になっていますが、
具体的な事例や公式な報道が乏しく、
都市伝説や誇張された情報の可能性が高いです。
仮に本当だとしても、
これは過剰なポリコレやクレーム文化が伝統的な価値観を揺さぶる一例と言えるでしょう。
「いただきます」は、単なる挨拶ではなく、
感謝や命の尊重を子どもに教える教育ツールでもあります。
こうした習慣を見直す際は、
金銭や多様性の議論だけでなく、
文化や教育の意義を慎重に考える必要があると思います。

つづく。

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