第3回:制度OSと運用OSの断絶
――なぜ「説明されない国家」になるのか

国民を置き去りにしてしまう日本の構造

こんにちは、\イッカク です。/
今回は「国民を置き去りにしてしまう日本の構造シリーズ」の3回目。

第3回:制度OSと運用OSの断絶
――なぜ「説明されない国家」になるのか


はじめに

前回までで見えてきたのは、日本社会において
問題が起きても責任の所在が曖昧なまま、制度だけが延命されていく構造だった。
国民は「決まったことだから」「専門的だから」という言葉で
納得を求められ、いつの間にか議論の外へ押し出される。

この回では、その背景にある二つのOSの乖離を扱う。

制度OS(制度として固定化された設計)

運用OS(現場で実際に動いている運用)

この二つが分離したとき、
国家はなぜ「説明しない存在」へと変質していくのか。
その構造を整理する。


制度OSとは何か

制度OSとは、
法律・制度・規則・前提条件として文書化され、
正当性を与えられた設計体系
である。
憲法、法律、政省令、予算制度、会計区分などが
ここに含まれる。

制度OSの特徴は次の通りだ。

  • 一度確立すると、変更には高いコストがかかる

  • 正当性は「手続き」によって担保される

  • 現実とのズレが生じても、すぐには修正されない

本来、制度OSは
国民のIntention(根源的な意思)を反映するための器である。
しかし、日本では
このOSが目的から切り離されたまま自己保存を始める傾向が強い。


運用OSとは何か

一方、運用OSとは、
制度OSの上で実際に人が判断し、
資源が配分され、行動が起きるプロセス
である。

  • 省庁の内部運用

  • 予算執行の優先順位

  • 行政裁量の使われ方

  • 非公式な慣行や忖度

運用OSは、常に現実に適応しようとする。
そのため、制度OSが時代遅れになるほど、
運用OSは裏技化・例外化・ブラックボックス化していく。


断絶が起きる瞬間

問題は、制度OSと運用OSが
同じIntentionに接続されていないときに発生する。

制度OSは「正しい手続きを踏んだ」と主張し、
運用OSは「現実的にこうせざるを得なかった」と振る舞う。

この二つは、論理的にはどちらも成立している。
しかし、
国民の側に共有されるべきIntentionが欠落しているため、
説明は決定的にすれ違う。


具体例:パンデミック時の行政対応

パンデミック対応は、
この断絶がもっとも可視化された事例の一つである。

制度OSの側

  • 緊急承認制度に基づき、手続きは適法に行われた

  • 専門家会議の設置、法令・ガイドラインも整備された

  • 予算措置・接種体制は制度上「問題なく」構築された

制度OSの説明は、
常に条文・手続き・制度設計の正当性に集中する。

運用OSの側

  • 医療現場は人員不足・病床不足に直面

  • 接種は半ば事実上の同調圧力として進行

  • 接種後の副反応・薬害への対応は後追いとなった

運用OSの説明は、
「当時は緊急事態だった」
「最善を尽くした」
「結果論では語れない」
といった、抽象度の高い言語に終始する。


説明が変質するプロセス

このとき、国民に対する説明は次のように変質する。

  • 制度の説明:条文や形式論に終始する

  • 運用の説明:具体的判断の責任主体が曖昧な抽象論になる

結果として生まれるのが、次の状態である。

誰も嘘はついていないように見えるが、
誰も危機の全体像を説明していない。

重要なのは、
この状態を善意や誠実さで肯定的に解釈しないことである。

実際には、

  • 事実の一部が意図的に語られていない可能性

  • 不都合な情報が制度防衛のために後景化された可能性

  • 危機の進行速度に制度が対応できず、結果として手遅れになった可能性

これらは十分に成立しうる。

制度OSは危機実態に追いつけなくなった瞬間、
現実を修正する方向ではなく、
「制度の正しさを守る方向」に自己保存的に振る舞う

その結果、説明は真実の共有ではなく、
責任回避としての形式説明へと変質する。

これは個人の倫理ではなく、
制度OSと運用OSが同じIntentionに
接続されていないときに必然的に生じる、
構造の問題である。


アトラス理論の構造で解釈すると

アトラス理論の枠組みで整理すると、
次の状態が観測される。

  • Intention:国民側で未整理・共有不全

  • Information:制度・データ・ルールが過積載

  • Imagination:現象としての不信・分断・諦観

この構造は成列ではなく乱列である。

特に重要なのは、
「制度が整っていること」と
「成列していること」は
同義ではない点だ。

Intentionに接続されていない制度は、
いくら精緻でも乱列を再生産する。


なぜ国民は「置き去り」にされるのか

制度OSと運用OSが断絶すると、
意思決定は次第に専門家内部の自己循環になる。

  • 国民は情報を与えられない

  • 与えられても判断に使えない

  • 参加できないため責任も持てない

こうして、国民は「主権者」でありながら、
構造的には観測者に格下げされる。
(しかも、満足な観測情報は得られない)

これは無能だからではない。
構造がそう設計されているだけだ。


次回予告

次回は、この断絶がもっとも顕著に現れる領域――

「責任の不可視化」と政治家の言語構造

を扱う。
なぜ政治の言葉は、
いつも核心を避けるのか。その構造を掘り下げる。


※本シリーズは、特定の思想や政党の評価を目的とせず、
構造の記述に徹するものである。

つづく。

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