第2章 日本の歯車が狂い始めた瞬間 ――失われた30年の“入口”をたどる:日本停滞の真相(見えない“構造の歪み”を暴く)――その理論とは?

アトラス

こんにちは、\イッカクです/

30年も放ったらかしになってる
日本の政治・経済の停滞の真相についての
論考シリーズ、今回はの第2回目を以下置きます。

第2章 日本の歯車が狂い始めた瞬間
――失われた30年の“入口”をたどる

気がついた人から順に、胸の奥でこうつぶやいたはずです。

「……あれ? うちの会社、何か前と違うぞ」

私自身、1980年代後半から90年代にかけて、まさに働き盛りの時期にバブルの終わりとその後の変質を現場で見続けてきました。

景気が悪くなったから、会社が苦しいから――そう思っていた時期もあります。

でも今振り返ると、「あれ」は単なる景気の波ではなかった。

もっと根っこの部分で、日本の企業文化そのものが静かに変わり始めていたのです。

その“最初のズレ”を、当時の現場からたどっていきます。


1.正社員が“人間”から“コスト”に変わった瞬間

バブルが弾けた頃、会社はまず「効率化」という名のもとに、雇用のかたちを大きく変え始めました。

最初は受付や補助業務に派遣社員を入れる程度で、

「まあ合理的だな」くらいにしか思いませんでした。

正社員が専門業務に集中しやすくなるし、悪い話ではない――そう見えたのです。

ところが、しばらくすると様子が変わってきました。

正社員と派遣社員の間に、「これは触れてはいけない」という空気の線が引かれた。

明文化されているわけでもないのに、仕事の“階層”が自然に出来上がる。

しかもその線は、年が経つほど濃く、太くなっていきました。

派遣社員の方から相談を受けることも多かった。

給与、待遇、保証、昇給……どれも正社員とは比べものになりません。

同じ会社で働きながら“別の人生”を生きているような不公平さを抱えたまま、必死に働いてくれていた。

私はその頃、ふと気づきました。

「あれ? これって、日本企業が大事にしてきた“仲間意識”を壊してないか?」

改善活動や少集団活動で培われてきた「みんなで良くしよう」という文化は、職場全体が同じ視線を持ってこそ成立します。

しかし、派遣社員の急増は、現場のチームワークそのものに静かな“分断”を持ち込んだ。

これが、日本の長期停滞の見えにくい最初の歪みでした。


2.制度と文化がぶつかった――ISO/QMSという“外来の仕組み”

2000年前後から、企業は次々に ISO や各種国際規格を導入していきました。

表向きは「品質の確保」「信頼性の向上」。

それ自体はとても良いことのはずです。

ですが――現場の実感は違いました。

書類を作るための書類。

チェックリストのためのチェックリスト。

“やったことを証明するための作業”が、本来の改善活動を圧迫していく。

もちろんQMSそのものが悪いわけじゃない。

むしろ仕組みとしては強力です。

けれども、日本独自の“身体感覚的な改善文化”とは、実は根本的に相性がよくありません。

あなたの会社には、ISO以前から「少集団活動」という、現場から自然に改善が湧き上がる文化がありました。

あれは日本人の気質に本当に合っていて、数字よりも“空気を読んで動く現場の知恵”が会社を支えていた。

ところが、国際規格は文化ではなく「形式」で動く仕組みです。

文化(身体知)

vs

形式(形式知)

この衝突により、改善活動から“魂”が抜けていった企業が多かった。

制度だけが残り、経験や勘や現場の熱量は削られていく。

そして気づけば、「改善って、何だっけ?」という空気が漂いはじめる。

これも日本の長期停滞の大きな要因のひとつです。


3.価値観の転換――“育てる”から“効率化する”へ

2000年代に入ると、日本企業は世界的な潮流に押されるように「株主価値経営」を受け入れていきました。

そこから一気に価値観が変わります。

目標が「良い製品を作る」から

「数字を良く見せる」へとすり替わった。

利益率、コストカット、短期的な成果……

それらが優先され、人材育成や技術継承は“コスト”に分類されるようになる。

そしてついに――

中間管理職の役割そのものが変わりました。

かつての管理職は、

・チームを育てる

・社員を見て、支えて、成長させる

・改善の旗振り役

こんな重要な役割を担っていましたが、

気づけば派遣会社との調整係になっていた。

人を育てる時間も余白も奪われていきました。


4.世代交代の断絶――経験値がごっそり消えた

2007年前後から団塊世代が大量退職し始めました。

その瞬間――日本企業の“中身”が一気に薄くなった。

技術も、改善の知恵も、現場感覚も、

本来なら10年以上かけて若手へ伝えるべきものが、突然ごっそり抜け落ちた。

ISOの文書には書けても、

「どう感じて動くか」という経験値は引き継げない。

結果、30年たった今の日本には、

・仕組みはあるが使いこなせない会社

・技術はあるが改善できない現場

・数字は良いが中身が空洞の企業

――こうした“スカスカの組織”が多く残るようになってしまいました。


5.第2章のまとめ――歯車は静かに狂い始めていた

日本の停滞は、突然起きたわけではありません。

・雇用の分断

・制度と文化の衝突

・短期価値へのシフト

・経験値の断絶

これらの“小さなズレ”が重なって、

気づけば大きな歪みになっていた。

そして実はその全てを、最も身近に感じてきたのが、

あなたのように現場で長年働き、改善文化を体験してきた世代です。

次の第3章では、

「ではなぜ、日本はこの断絶を止められなかったのか?」

「どうすれば取り戻せるのか?」

その問いに、さらに深く踏み込んでいきます。

ところで、蛇足ですが・・・https://youtu.be/Fp428LjWv94?list=PLuAcjINDGt9fvbaftNEbtwiUDlDesMv1f

つづく。

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